内野も外野も守る。入団したときは捕手登録だった。アマチュア時代はマウンドにも立っている。レギュラーよりも今は、一軍で試合に出続けることに重きを置く。すべてはチームに貢献するために。やってきたことにムダはない。 文=坂上俊次(中国放送アナウンサー) 写真=井沢雄一郎、BBM 今の土台となった3年間
スケジュール帳と試合の日程を見比べる。もちろん、チームの戦いぶりも加味せねばなるまい。
「昨季は月1回は球場に行こうと思っていましたが、難しかったですね。今年は初めて日南キャンプにも行け、3月はオープン戦、4月は名古屋遠征、5月はマツダスタジアムでスタメンの試合も見ることができました。私はゴルフもしませんし、お酒も飲みませんが、おこづかいが足りませんよ」
二俣豪良さんはプロ野球選手を夢見る球児だった。小中高とキャッチャー一筋、静岡県立池新田高では甲子園出場も目指していた。バッテリーが充実したチームだったので自信もあった。しかし、肩を故障し、その道はあきらめた。
今、その夢を、息子である二俣翔一が叶えている。2021年に育成ドラフト1位でカープに入団すると、2年目のシーズン終了後に支配下登録の「背番号99」を勝ち取った。今季、一軍デビューを果たすと、プロ初安打も記録。そして、プロ初スタメンだった4月25日の
ヤクルト戦(神宮)ではプロ初本塁打をレフトスタンドにたたき込んでいる。
「
佐々木朗希さん(
ロッテ)のボールはどうだった?」
「フォークがすごかったよ」 「
大瀬良大地さんのノーヒットノーランはすごかったね」
「あの場にいられて、素晴らしい経験だったよ」 「3万人の中でプレーしていて、緊張しないの?」
「いや、ワクワクするよ」 父・豪良さんは、純度の高い眼差しで息子の活躍ぶりを見つめる。そこには、応援であり、心配であり、リスペクトも含まれている。
「うらやましいね。あんなに多くの観衆の中で応援してもらって野球ができる。それで、緊張よりワクワクだって。こういう人がプロの世界でやれるのだと思いましたよ」
今でこそ、その視線は柔らかい。しかし、昔は厳しかった。
「私がね、ケガで野球をあきらめましたでしょ。だから、翔一にはケガだけはさせないようにしました・・・
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