ようやく訪れた昨シーズンのブレーク。自覚と責任、やりがいを胸に、さらなる飛躍を誓った今季だったが、予期せぬ出遅れを余儀なくされた。それでも、舞台に戻った今、自らがやるべきことに変わりはない。 文=杉浦多夢 写真=兼村竜介、BBM 涙のわけ
マスク越しでも分かる笑顔の指揮官に迎えられると、込み上げるものを抑えることはできなかった。長くチームの力になることができなかった申し訳なさ、戦いの舞台に戻ってくることができた安ど感、仲間たちとの勝利のリレーに加わることができた喜び。知らず知らずのうちに胸の奥にたまっていた無数の感情が、その瞬間、一気に押し寄せてきた。
7月2日、エスコンフィールド北海道での
ロッテ戦。今季初登板で1イニングを三者凡退に斬って取り、しばし止まっていた池田隆英の時計の針は、再びゆっくりと動き始めた。
プロ入りから7年目となった昨シーズンは、ついに迎えた飛躍の時だった。ファームからのスタートだったが
「自分の状態が悪いわけではなかったので、不安はなかった」と言うように、一軍に呼ばれてもすんなりと対応していく。
回またぎを含めた敗戦処理に近い役割から始まると、代名詞となった雄叫びとともに気迫あふれる投球を続け、着実にベンチの信頼をつかんでいく。ピンチの場面の火消しも軽々とこなし、気づけば8回の1イニング、セットアッパーのポジションをつかんでいた。先発へのこだわりは消え、リリーフとしてのやりがいが増していく日々は、充実感に満ちていた。
「チームがちょっと押されているときに出ていって、ビハインドだとしてもそれ以上は相手に流れを渡さない。そうすると、例えばマンチュウ(万波中正)とか、打つべき選手が打って逆転する。そんなストーリーをファンも見たいと思っていたし、それが自分の役割だと思っていた。流れを渡さずにリリーフがバトンを渡していく。ワンチームというか、ひとつのチームとなって戦っているのを感じることができました」 キャリアハイを大きく更新する51試合登板、25ホールド。イニング数も50を超えていた。
「正直、投げているな」という自覚はあったが、同時に新たなシーズンへ向けて自分へのさらなる期待、「やらなければいけない」「やってやるぞ」という責任感も膨らんだ。だからこそ、オフは入念にケアとメンテナンスに時間を割いた。ところが──。
春季キャンプの終盤、2月23日の名護でのサムスン戦に登板した翌日、右肘にわずかな違和感を覚えた。キャッチボールは普通にできる。だが、ブルペンの傾斜を使った投球動作になると、ボールを押し込む瞬間に力が入らない。出力が上がらない。無意識に体が怖がっているのを感じた。まだ開幕までは1カ月ある。ファームで再びケアをしながらコンディションを上げようとしたが、時に痺(しび)れも感じるなど、むしろ先が見えない状態に陥った。
ケアはしてきたつもりだった。それが「つもり」に過ぎなかったのかもしれない。腑(ふ)に落ちない。
「何やってんだよ」という情けない感覚に襲われた。チームは春先から上位争いを展開する中で、力になることができない。そんなとき、真っ先に気に掛けてくれたのが・・・
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