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プロ野球回顧録

堀内恒夫G助っ人回顧 ガルベス「熱くなるだけで、人間的に悪くない」

 

川上哲治監督のV9時代の巨人は外国人選手不在だったが、長嶋茂雄監督が就任した1975年にジョンソンが入団。当時のエースとして、その後は兼任コーチ、専任コーチ、コーチ、監督として長年にわたり巨人のユニフォームを着た堀内恒夫氏に、「海を渡ってきたチームメートたち」について思い出を振り返ってもらった。

大きなインパクトと汚点


投手としての能力は優れていたガルベス


 1994年、長嶋巨人初の日本一の立役者となったのは、ヘンリー・コトーダン・グラッデンの外野手コンビだった。

 コトーはスキンヘッドと口ヒゲがトレードマークで、ナゴヤ球場で行われた中日との優勝を賭けた「10.8」決戦では、本塁打を放つなど、記憶に残る活躍を見せた。西武との日本シリーズでは、第5、6戦で計2本塁打を放ち、優秀選手賞を獲得した。

 一方のグラッデンは、ツインズ時代に斬りこみ隊長として、2度の世界一に貢献。来日後も、主に一番で本領を発揮したが、5月11日のヤクルト戦で、相手投手のインコース攻めに激昂、止めに入った捕手と殴り合いの大立ち回りを演じた。左手小指と右手親指を骨折したあげく、退場処分に。罰金と出場停止処分を食らったが、闘志むき出しのプレーがチームに与えた影響は大きい。

「コトーはアッパースイングで低めを打つのがうまかった。左ピッチャーには強かったという印象が強い。グラッデンは、俺がワールド・シリーズを見に行ったときに活躍していた。ツインズ時代にはすごい選手だったんだよ。ところが、日本へ来たときには、外野からショートまでしかボールが届かないくらい、肩が壊れていた。昔は、そういう選手が多かったんだね」

 栄光の歴史に大きなインパクトと汚点を残した投手として印象深いのは、バルビーノ・ガルべスである。ガルべスは米国ではドジャースなどでプレーした後、台湾球界を経て、96年春の宮崎キャンプでテストを受けて入団。1年目から16勝を挙げ、エース・斎藤雅樹とともに最多勝を獲得、長嶋巨人のリーグ優勝に貢献する。

 翌97年も2ケタ勝利(12勝)をマークするが、3年目の98年7月31日に甲子園球場で行われた阪神戦で、主審へボールを投げつける暴挙に出て、無期限の出場停止処分となる。

「ガルベスは、あれも熱くなる男でね。バカなことをやるんだけど、人間的には悪くないんだ。1年目に良い調子で勝ってさ。ロサンゼルスかなんかに行って、遊びまくって太って帰ってきた。熱くなると見境がなくなるから、審判へボールを投げたりした。

 あのとき、俺はコーチだったからね。テストで獲ったときには、こんなに良いピッチャーがいるのかと思ったもの。特にシュートが素晴らしかった。それからスライダーで、ふっと抜くから打てない。斎藤雅樹みたいなピッチャーだった。斎藤は横手投げだけど、ガルべスは上手投げのスリークォーター。斎藤のスライダーとシンカーの組み立てみたいなものだね。ガルべスのシュートは、いまでいうツーシームみたいなもので、スピードが落ちない。球もある程度速かったから勝てた。

 ちょっとクレージーだったけど、俺の言うことはよく聞いたよ。俺が監督になったときに『もう一度、雇ってくれ』と言ってきたんだけど、『もう遅い。年がいっているから』と言って断った」

写真=BBM
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