刺身は絶対に食べず?
来日1年目の1989年からプロ野球にアジャスト、42本塁打を放って本塁打王に輝いたヤクルトのパリッシュ。きちんと結果を残して名前も知れ渡ったのだが、ペナントレースで活躍する前から全国区の存在(?)だった。すでに活躍していた
巨人の
クロマティと同時にメジャー昇格を果たした、というようなメジャーの逸話があったからではない。それほど覚えにくい名前ではないが、登録名よりも先に異名のほうが独特のインパクトとともに知れ渡ってしまったのだ。
その異名は“ワニ男”。ワニに似ているからでもない。好物を尋ねられて「ワニの肉」と答えたことが原因で、“ワニおじさん”や、“ワニ食い男”といった正確さを追求した(?)バリエーションもあった。パリッシュは米国フロリダ州の出身で、脂肪分の少ないワニ肉は地元ではポピュラーな食材なのだとか。とはいえ、好物を「ワニの肉」と答える日本人は現在でも少数派と思われ、パリッシュは“ゲテモノ食い”のようなイメージでファンに浸透してしまった。
一方、絶対に食べなかったのが魚の刺身で、これを勧めて「お前はクレージーだ!」とパリッシュに怒られてしまった人もいたらしい。地元でワニの肉に親しんできたパリッシュからすれば、われわれ日本人のほうが“ゲテモノ食い”ということになるのだろう。
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血の気の多い助っ人でもあった
ただ、グラウンド外で異色のエピソードが多い助っ人だったのも事実。カッとなって壁やベンチに当たって自分がケガをしてしまうことが多く、安全のために購入したのが人型のサンドバック。雪だるまのような形で、目と鼻と口に眉毛までついていて、その腹部には、“KICK ME or HIT ME Whatever you want! Good luck Next time.”(いつ蹴っても殴ってもいいよ。次がんばれよ)と書かれていた。
確かに本塁打は多かったが、三振も多かった。本塁打王になりながらも、オフに就任した
野村克也監督の「確実性のない助っ人はいらない」という方針で解雇に。翌90年は
阪神でプレーも、左ヒザの古傷が悪化してシーズン中に退団。帰国を前に「みんなに申し訳なかった」と涙ぐむようなナイスガイでもあった。
文=犬企画マンホール 写真=BBM