試合も打席も少なかったが
“打撃の神様”の異名をを取った川上
1997年に連続打席無三振でもプロ野球の頂点に立った
イチロー。最終的には216打席連続でストップした。つまり、三振したわけだ。これは翌日のスポーツ紙で大きく報じられたが、1三振が大々的に報じられるのは異例のことだった。
この97年のイチローは、最終的に36三振。これは607打席に立っての数字で、もちろん規定打席は軽々と突破、打率.345で4年連続の首位打者となっている。ちなみに、連続打席無三振でイチローに次ぐ2位となった78年の
藤田平(
阪神)は18三振と、イチローの半数。打席もイチローほどではないものの、575打席に立っていた。イチローの36三振もさることながら、藤田の18三振も驚異的な数字だ。ただ、2リーグ制となった50年から現在に至るまで、規定打席(打数)に到達した選手で最も三振が少なかったのは藤田ではない。
巨人の
川上哲治だ。
若いプロ野球ファンでも、川上の名前を知っていたら、“打撃の神様”という異名も聞いたことがあるだろう。戦前の38年に投手として入団、すぐ内野手に転向して、56年にはプロ野球で初めて通算2000安打に到達した川上。全盛期に「ボールが止まって見えた」と語ったことも有名なエピソードだ。加齢による視力の悪化で止まっているボールさえ2つにも3つにも見える筆者にはうらやましい限りだが、この境地に川上が至ったのは30歳となった50年の夏のことだという。
この50年はシーズン29三振を喫した川上だったが、翌51年の川上は、とにかく三振しなかった。その数、わずか6三振。川上は規定打数にも到達して、打率.377で首位打者にも輝いている。ただ、この51年はペナントレース自体が日米野球を開催するため途中で打ち切られたことで、川上の中でも出場が少ないシーズンだったのも事実だ。巨人は全114試合で、そのうち川上が出場したのは97試合だった。424打席、374打数も、78年の藤田や97年のイチローに比べれば圧倒的に少ない。とはいえ、51年の川上が同じ程度の打席に入って、三振も倍増したかどうか。「ボールが止まって見えた」というのも、誇張のない真実のような気もしてくる。
文=犬企画マンホール 写真=BBM