前代未聞の暴挙から開幕完投勝利へ
99年、ガルベスは球団史上初の外国人開幕投手となり、1失点の完投勝利を飾った
助っ人であっても、実力が間違いなければ、開幕投手を務めることは少なくない。ただ、前代未聞の暴挙で無期限出場停止の処分を受けながら、その翌年の開幕投手を務めた、というのも前代未聞のことだった。
巨人のガルベスだ。
メキシカン・リーグから台湾球界を経て来日、1996年に巨人へ入団したガルベス。1年目からリーグ最多の12完投、16勝を挙げて、チームメートの
斎藤雅樹と最多勝に並び立った。巨人も
長嶋茂雄監督の名づけた“メークドラマ”を完成させての逆転V。ガルベスの剛腕も、もちろん大きく貢献している。一方で頭に血が上りやすく、この1年目の5月から
中日の
山崎武司と乱闘。ガルベスの危険球に山崎が激高したもので、「すべてのパワーを出して打者を威嚇するのも大事」と、平然と打者の内角へ剛球を投げ込むのが投球スタイルだった。ただ、打者の内角どころか、審判に向かって全力で投げ込んでしまったのが98年の事件だ。
7月31日の
阪神戦(甲子園)。序盤から味方が攻守でミスを連発したことでイライラを募らせていたガルベスは、3回裏には
大豊泰昭に本塁打を許し、5回裏にも大豊から一発を浴びて、ますますイライラ。そして6回裏、内角球がボールと判定され、続けて甘い球を本塁打にされると、ついにキレた。球審に文句を言いながら詰め寄り、交代を告げられてもベンチへ戻らず。長嶋監督も飛び出し、ガルベスもベンチ前まで戻りかけたが、そこで審判団へ全力投球。ガルベスは侮辱行為で退場となるも、そこから乱闘が始まった。
これで4000万円の罰金と、無期限出場停止の処分。長嶋監督も丸刈りにしてケジメを示した。だが、ガルベスは解雇されず。その後、処分が解除されて、翌99年に開幕投手を務めて完投勝利を挙げている。当然、物議をかもした。
その99年は9勝を挙げたガルベスだったが、続く2000年の巨人は“助っ投”を大きく補強。ガルベスを入れて4人が戦力に並ぶことになった。ただ、一軍には外国人の投手を2人までしか登録できず、二軍に甘んじるようになったガルベスは、そのオフに退団している。
文=犬企画マンホール 写真=BBM