長嶋監督と四番「1000日計画」
力強いスイングから打球を飛ばし、本塁打を量産した松井
驚異的なスイングスピードで、日米を股にかけて本塁打を量産した“ゴジラ”
松井秀喜。高校時代から全国区の強打者だったが、全盛期を迎えるのには時間を要することになる。
長嶋茂雄監督は、松井を
巨人の四番打者にするための「1000日計画」を掲げ、1年目からマンツーマンで指導した。夜中に松井を呼び出して素振りをさせたこともある。
長嶋監督がこだわったのが、音。いい音がするまで素振りを続けさせた。もちろん、松井自身も試行錯誤を重ねる。「いいバッターはマメができない」が長嶋監督の持論。高校時代はマメだらけだった松井の手は、いつしかマメが減っていく。たびたび打撃フォームも修正した。高校時代は一本足に近かった右足は、プロではすり足にしたり小刻みに動かしたりと模索。入団時に四番打者だった
落合博満のバットをしなるように振るフォームを目標に、たびたびバットも調整した。
初めて四番に座ったのは3年目の1995年。98年には初タイトルとなる本塁打王と打点王に。以降、打撃2冠は3度。2002年、自己最多の50本塁打を放って海を渡った。打撃フォームの完成形は、力を抜いて構え、重心を左足に残したまま、右足は自然に前へ。「弓矢を引くイメージで力をためて」(松井)下半身をねじってのフルスイングだった。
「ホームランはいかに速くスイングするかです」(松井)。日本通算332本塁打、日米通算507本塁打。2018年には史上最年少で野球殿堂入りも果たしている。
写真=BBM