打撃2冠は4度

驚異のフルスイングで驚弾を連発した中西
西鉄黄金時代に打線の主軸を担った“怪童”
中西太。三冠王には届かなかったが、打撃2冠は4度を数える。
そのフルスイングにまつわる伝説には事欠かさず。ルーキーイヤーとなる1952年のオープン戦、伝説は早くも幕を開ける。
阪神戦で、打球は左方向へのライナーに。まず、遊撃手がジャンプしたが届かず。続いて左翼手が前進。しかし、打球はライナーのまま、その頭上を越えて左翼席へ飛び込んだ。また、2年目の53年には大映戦(平和台)でライナーのまま場外へ。飛距離は史上最長、162メートルとも言われた。
内野手さえ捕れると思うほど低い弾道を凄まじいスピードで飛ぶ本塁打、それを生み出す凄まじいスイングスピード。これぞ中西の真骨頂だ。
腕の短さをカバーするため、そして遠心力を利用するため、重くて長いバットを使って、「輪ゴムをギリギリまで引っ張ってパチンと当てるイメージだね。球をしっかり引きつけ、下半身の力を使いながら、シャープに振り抜く」(中西)フルスイング。あまりのスイングスピードに、ファウルチップしたボールが焦げるにおいがしたという。また、そのスピードゆえに、マシンの打撃練習で左手首の腱鞘炎になったことも。実際、29歳で兼任監督となったこともあるが、その全盛期は7年と短い。
フルスイングの先駆者であり、伝道師でもある。現役引退後は数々のチームで打撃コーチを歴任。多くの打者が個々の持ち味を生かしたフルスイングを完成させた。中西を恩師と慕う打者は洋の東西を問わない。
写真=BBM