将来の首位打者候補の声
高卒1年目、92年のジュニアオールスターではMVPを獲得した
1992年はスーパースター、
イチローが、まだ鈴木一朗で、しかもルーキーだった時代だ。一軍では40試合出場に終わったが、二軍ではすさまじい勢いでヒットを量産していた。
愛工大名電高時代は2度甲子園に出場。三番・レフトの2年生夏は天理高に1回戦負け、エースで四番の大黒柱として出場した3年春のセンバツも1回戦で松商学園高の前に2対3と惜敗。夏は愛知大会決勝で涙をのんだ。
ドラフトでは投手ではなく打者としての能力に注目した
三輪田勝利スカウトが強く推し、
オリックスがドラフト4位で指名し入団。愛工大名電高の中村豪監督も「鈴木は篠塚二世になれると思います」と話していた。
篠塚和典、
巨人の誇るヒットメーカーである。なお、この年の4位は、
阪神が
桧山進次郎、近鉄が
中村紀洋、
広島が
金本知憲とのちの主力選手を指名している。
高い打撃センスは春季キャンプから話題に挙がり、「将来の首位打者候補」と評価する球団関係者もいた。
土井正三監督も「鈴木っていいらしいね」と話し、自ら二軍キャンプに足を運び視察をしている。
細身の体もあり、1年は体づくりと育成方針が決まったが、ファームで当初、4割台の打率をキープ。足の速さもあって「
福本豊二世」とオリックスの前身・阪急に在籍した世界の盗塁王に例える声もあった。本人は「僕なんてまだまだです。上の投手にかかれば通用しないでしょう」と初々しく話していたが、
根来広光二軍監督は「打撃は素晴らしい。力がついて引っ張れるようになれば長打も出るはず」と絶賛していた。
7月10日、ウエスタンの試合を終えると、そのまま一軍の遠征先である博多に移動し、翌11日に出場選手登録をされた。この年に高卒新人では
ヤクルトの
石井一久、近鉄の中村に続き、3人目となる。同日のダイエー戦で負傷した
村上信一に代わりに一軍初出場。2打席凡退に終わったが、土井監督は12日の同カードで九番・レフトとしてスタメン起用。5回の第2打席で木村恵一からライト前にプロ初安打を放った。試合後、「打ったのはスライダーです。緊張はしてましたけど、打席に入ったらそうでもなかったですね」と笑顔。ネット裏では父・宣之さんも応援していた。
代打で決勝アーチ
7月17日にはジュニアオールスター(東京ドーム)にも出場。代打で決勝アーチを放ち、MVPに選ばれた。以下はそのあと、合宿所で週刊ベースボールでインタビューしたときのものだ。聞き手は女子アナウンサーの須田珠理さん。
──8回表に代打のときはピッチャーが
有働克也さん(大洋)。どのような気持ちで打席に。
「とりあえず塁に出ようと考えていました。僕は内野安打が多いので、三遊間に転がしたいと思っていました」
──それがなんとホームラン。打てそうだなと思っていたんですか。
「いいえ。相手は一軍の投手ですから。でも、名前が知られた投手だったんで、有働さんや石井君(一久。ヤクルト)はぜひ勝負したいと思っていたんです」
──オリックス勢では
田口壮選手だけ賞をもらえなかった。田口さんとはよく話をするそうですね。
「試合前、どっちがMVPでも100万円は山分けするという約束だったんです。それで『50万は田口さんに』って言ったんですけど……」
──田口さんはなんて。
「『いらんわ』って(笑)」
──翌日の新聞では、すごく大きく写真や記事が載っていましたよね。
「電車の中で、横にいる人がその新聞を読んでいるのを見て、なんか変な感じでした。照れくさいですね(笑)。全国版の新聞に載ったのは初めてでしたし……」
──プロ野球の選手になりたいと思ったのは。
「小学3年くらいかな。
中日の
小松辰雄さんや巨人の篠塚さんにあこがれてました」
──愛工大名電時代には130個以上も盗塁を記録したそうですね。
「足が特別速いわけではなくて、ずるいんですよ(笑)」
──どういう意味で。
「口ではうまく言い表せないんですが、投手の“雰囲気”をつかむのが得意なんです。ジュニア・オールスターのときも、相手バッテリーが無警戒だなって分かりましたから(9回表に二盗)」
──三盗にもトライしましたが、バッターがファウル。
「本当はあの三盗を決めたかったんです。僕は三盗のほうが得意なんですよ。二盗のような際どいセーフにはならずに、スライディングしなくても悠々セーフになる、びっくりするような盗塁が決まるから面白いんです」
──そのとき塁に出たのはクリーンなセンター前でした。
「あんなの珍しいんです。もっとボテボテの汚い内野安打ばかりなのに(笑)」
イメージトレは欠かさない
──いまチームの練習メニューとは別に、必ずやっていることは何かありますか。
「イメージトレーニングですね。これはもうふだん歯を磨いているときなんかでもやっています」
──いつも野球のことで頭がいっぱいなんですね。
「ええ、こういう球が来たら、こういうふうに打って……と、いい感じを頭に描くようにしています」
──6月に一軍を経験しましたが、ベテランがずらりと並び落ち着かないんじゃないですか。
「最初にあいさつに行ったときはさすがに緊張しました」
──先輩の皆さんは声を掛けてくれましたか。
「ええ、頑張れって言ってくれます。最初に顔を合わせたのは、なんと
松永浩美さんでした」
──何かアドバイスは。
「口をきいてもらうことなんかないですよ。あれだけの方ですから。なかなか僕なんかからは……」
──後半戦はどんな気持ちで試合に臨みますか。
「塁に出たら走る! という気持ちでいたいですね。数字的な目標はまだありませんが、とにかくチームの勝利に貢献できるよう頑張ります」
──では、最後に将来の夢を力強く。
「首位打者と盗塁王の2つのタイトルを獲りたいです!」
後半戦は「ファンの皆さんに顔と名前を覚えてほしい」と話していた鈴木だが、1年目は一軍では40試合で打率.253、本塁打はなしに終わった。
ただ、ウエスタンでは238打数87安打、打率.366で首位打者。オフには「ビッグホープ賞」にも輝いている。ちなみに、この年、二軍では16試合連続安打で閉幕しているが、打率.371だった翌年のウエスタンでは開幕から30試合連続安打。つまり46試合連続安打を放っていたことになる。
写真=BBM