巨人とは因縁も
ソフトバンクは1938年の秋季からプロ野球に参加した南海が起源。89年にダイエーとなり、本拠地も大阪から福岡へ移転、ソフトバンクとなったのは2005年のことだ。ホークスのトレード史で最大の衝撃はダイエー時代に
小久保裕紀が無償トレードで
巨人へ移籍、ソフトバンクとなってから復帰したことかもしれない。南海でも巨人とは因縁があり、1リーグ時代にエースの
別所昭(毅彦)が巨人に引き抜かれ、これが遺恨試合に発展したことがあったが、2リーグ制となって黄金時代を迎えると、その巨人と何度も日本シリーズで激突することになる。
これらに衝撃度では及ばないが、というより、じわじわと効いてくるようなトレードで名を馳せたのが70年代の
野村克也監督だ。監督、といっても正捕手、四番打者との兼任という“三刀流”だったのだが、他のチームで低迷しているような選手を獲得するトレードだから、トレード自体に衝撃はない。だが、そんな選手たちが野村監督の下で開花、あるいは再生していった。捕手というポジションもあり、成功例は投手がメーン。Vイヤーの73年には前年に東映(現在の
日本ハム)から来ていたプロ2年目の
江本孟紀とともに、巨人から来た
山内新一と
松原明夫が移籍1年目から活躍している。追われるように
阪神から来た
江夏豊は、すでにビッグネームだった例外的な存在。当時まだ珍しかったリリーフ専門の投手として一時代を築き、まさに“再生”を遂げた。
一方、野村監督の退団から南海は低迷を極め、これはダイエーになっても変わらず。一転、99年のダイエー初のリーグ優勝、日本一から黄金時代に突入するのだが、それにはトレードによる補強が大きい。93年オフに3対3の大型トレードで
秋山幸二が、翌94年にはFAで
石毛宏典、
工藤公康が、黄金時代の西武から加入。石毛はベテランとなってからの移籍だったが、工藤と秋山は投打の主力として機能。99年MVPの工藤がオフにFAで巨人へ移籍、翌2000年の日本シリーズでダイエーに立ちはだかったこともあったが、のちに秋山と工藤は監督として黄金時代を継承する大役も担っている。
文=犬企画マンホール 写真=BBM