日本ハム初優勝はトレードの成功で
2004年、メジャーから日本ハムに加入した新庄
日本ハムの起源は戦後すぐに参加したセネタース。東急、東映などを経て日本ハムとなり、21世紀に現在の北海道は札幌へ移転した。近年はトレードが活発という印象は少ないが、過去にはトラブルも少なくない。1951年オフに主砲の
大下弘が移籍を志願、これが政財界をも巻き込む騒動に発展して、翌52年のシーズンが開幕してから西鉄(現在の
西武)へ移籍することで決着した。
ちなみに、これは
深見安博、
緒方俊明の2人との交換トレードだったが、深見はプロ野球で唯一となる2チームにまたがる本塁打王になるなどの副産物も。また、東映から日本ハムになってからは、いわゆる“暴れん坊”の異名もあった東映カラーを払拭するべく、
張本勲や
大杉勝男らチームの顔といえる選手を事実上の放出といえる形でトレードに出したこともあった。
日本ハムとしての初のリーグ優勝は81年だが、これにはトレードが奏功したといえそうだ。80年オフにエースの
高橋直樹との交換で
広島からリリーフエースとなっていた
江夏豊を獲得。2年連続で日本一に貢献した江夏は左腕の多かった日本ハムでチームの支柱となる一方、3年連続で日本シリーズに出場、まさに“優勝請負人”と呼ばれる活躍だった。
さらに87年オフには2対2のトレードで
中日から
大島康徳を獲得して、2000年に大島は監督になっている。90年代にはトレードではないものの
巨人で志願して自由契約になった
落合博満を獲得して話題となり、落合は日本ハムで現役を引退している。
現在の監督でもある
新庄剛志(当時の登録名はSHINJO)がメジャーから日本ハムでプロ野球に復帰したことでも沸いた北海道1年目の2004年。メジャー移籍を断念して05年に
ヤクルトから来たのが現在のGMでもある
稲葉篤紀だ。北海道で初の日本一イヤーとなった06年オフにはFAで
小笠原道大が巨人へ移籍、新天地でも活躍して2チームにまたがる2年連続MVPの快挙もあったが、かつて北海道の日本ハムを象徴していた新庄、稲葉が率いる現在の日本ハム。北海道でのストーブリーグの成功は現在進行形(未来形?)といえるのかもしれない。
文=犬企画マンホール 写真=BBM