2チームで通算4000打数も突破

巧みなバットコントロールで長年、日本球界で活躍した
「私はホームランバッターではなく、アベレージヒッターだ」と語っていた助っ人が、現在の
オリックス、当時の阪急で最後のリーグ優勝となった1984年のMVPに輝いた“怪人”
ブーマー・ウェルズだ。
とはいえ、身長200センチ、体重100キロと、なんとも分かりやすい数字が示す巨漢から繰り出される打棒はパワー抜群だった。来日1年目は手術の影響が残っていたこともあって17本塁打にとどまっているが、2年目の84年が37本塁打で本塁打王。その後も86年からは2年連続、オリックス元年の89年にも40本塁打の大台に到達している。とはいえ、冒頭の発言も決して謙遜ではない。むしろ、巨躯とパワーという圧倒的インパクトに真価が隠されてしまったといえそうだ。
長い手足を器用に使った巧みなバットコントロールこそ、ブーマーの本領だった。相手の投球を熱心に研究して、意外と神経質な一面も。84年のパ・リーグは首位打者を
日本ハムの
トミー・クルーズと
西武のスティーブ・オンティベロス、そしてブーマーの3人が上位で争っていたが、これを制したのがブーマーで、打率.355。130打点の打点王も当然の数字だったといえるだろう。これでブーマーは外国人選手としては初めての三冠王に輝いている。ただ、
広島との日本シリーズでは徹底的に苦手の内角を攻められ、沈黙。阪急も日本一を逃している。
「日本で成功するためには、自分が日本にいることを忘れないことだ」というのもブーマーの言葉だが、成功を手にしたものの帰国も早かった助っ人は少なくない一方で、長くプレーして結果を残したのもブーマーの特徴だ。通算成績では阪急、オリックスを通じて1276安打、251本塁打、804打点が外国人トップだ。ダイエーでプレーした最後の1年を除いて、在籍9年の打率.323も通算のチーム“首位打者”となる。
プロ野球でプレーした通算打率.317は2000打数を超える助っ人では5位。阪急とオリックスだけでは通算成績の“規定打数”である4000打数には届かないが、ダイエー時代を含めれば4451打数となり、4000打数を超える助っ人では
ロッテの
レロン・リーに続く2位だ。
写真=BBM