球界を代表する選手が並んだ外野陣
左打席から鋭い当たりを飛ばした清水
90年代後半から00年代前半にかけ、
巨人の外野陣は球界を代表する強打者たちが並んでいた。
松井秀喜、
高橋由伸、
清水隆行という名前を聞けば、野球ファンは納得するだろう。
3人は右投げ左打ちという共通点があったが、打者としてのタイプは違った。松井は稀代のホームランアーチスト。日米通算507本塁打をマークしたが、巨人に在籍した10年間で332本塁打を積み上げた。高校卒業から10シーズンの本塁打数で
王貞治の356本に次ぐ歴代2位。300本以上打った打者は王と松井の2人だけという事実がすごみを物語っている。
高橋は誰もが認める「天才打者」だった。足を高々と上げる独特のフォームでタイミングを取り、どんな球もヒットゾーンにはじき返す。右翼の守備でも捕球してから送球までの動作が速く、強肩だった。ファインプレーの代償でケガが多かったが、攻守でそのセンスは際立っていた。通算1753安打をマークしたが、高橋の打撃能力をすれば2000安打に到達していないことが不思議に感じるほどだった。
鋭いスイングから弾丸ライナー
松井、高橋ほど派手さはなかったが、清水も他球団ならクリーンアップを張れる実力者だった。スイングスピードが速く、ボールを叩き切るようなスイングでミートされた打球は弾丸ライナーで飛んでいく。アマチュア球界で名を轟かせてドラフト1位で入団した松井、高橋と違い、清水は東洋大からドラフト3位で入団する。
「プロのスカウトの方に注目してもらっているということは知らされていましたが、確実に指名されるかどうかは分からない立場。指名された瞬間は、素直にうれしかったです。ただ、浮かれ気分はすぐに消え去ります。キャンプ初日、『大変な所に入ってしまったな』と(苦笑)。すべてにおいて、今までに見たことのない状況。練習環境ももちろんですが、何と言っても選手のレベルです」と週刊ベースボールの取材で語っている。
外野陣は松井、
シェーン・マック、
吉村禎章、
広沢克己ら豪華な顔ぶれだったが、1年目の96年から外野のレギュラーをシーズン途中につかみ、打率.293、11本塁打をマークする。首位を独走していた
広島と11.5ゲーム差をひっくり返す「メークドラマ」でリーグ優勝に大きく貢献した。その後は二番打者として活躍し、2002年は
原辰徳監督第1次政権で一番を託され、打率.314、14本塁打、58打点をマーク。リーグトップの191安打で日本一に導いた。
打ち続けることで存在価値を証明
清水は外野の守備で肩が弱かったこともあり、打ち続けることで存在価値を証明したが、選手層の厚い巨人では活躍してもレギュラーを確約されなかった。04年は打率.308、自己最多の16本塁打、60打点、リーグトップの39二塁打と申し分ない成績でオフにFA宣言した上で2年契約を結んだが、翌05年は新外国人の
ゲーブ・キャプラーが入団したため、開幕から控えに。だが、逆境で心は折れない。キャプラーの打撃不振もあり、5月に左翼の定位置に返り咲くと、規定打席に到達して打率.300、15本塁打、50打点をマーク。職人肌で決して目立つ存在ではなかったが、巨人ファンの人気は根強かった。
現役時代に対戦した投手は「高橋由伸、松井はずば抜けた能力を持つ天才でしたけど、清水も天才打者ですよ。内角を払うようにさばいてフェアゾーンにはじき返す。あんな打ち方ができる選手はなかなかいない。二番・清水、三番・高橋、四番・松井の並びは本当に厄介でした」と振り返る。
14年間の現役生活でシーズン打率3割を5度マークし、通算成績は1485試合出場で打率.289、131本塁打、488打点。1428安打を記録した。現役時代は寡黙なイメージがあったが、引退後は絶妙なワードセンスとトーク術が話題に。当時のチームメートたちは「清水さんは現役時代から面白かった」と口をそろえるが、そのギャップに驚いたファンは多いだろう。
写真=BBM