助っ人として2リーグ制で初の本塁打王
豪快なフルスイングでアーチを描き、かと思えばバットが空を切り簡単に三振してしまう。そんな「本塁打か三振か」という助っ人たちに漂う独特の爽快感、もろさなどは、そのギャップの大きさもあって、たびたびファンを沸かせてきた(あるいは、ガッカリさせてきた)。
数字において、そんな助っ人の究極にいるのは近鉄ほか3チームでプレーした
タフィ・ローズになるだろう。通算464本塁打、1655三振のローズは、助っ人の通算“本塁打王”にして“三振王”。ただ、近鉄の助っ人だと、「本塁打か三振か」ということになると
ラルフ・ブライアントの姿も思い出される。ブライアントは通算259本塁打で1186三振。ローズは3チームでの数字だから、近鉄に限っていえば、ほぼ互角、双璧といえる存在だろう。
ただ、この両雄の存在に上書きされてはいるものの、近鉄には「本塁打か三振か」の源流といえる助っ人がいる。クラレンス・ジョーンズ。のちにブライアントがリーグ優勝を呼び込む4連発、ローズは当時のプロ野球の頂点に並ぶ55本塁打を放つなどで強烈なインパクトを残したが、2リーグ制で初めて助っ人で本塁打王に輝いたのが、この
ジョーンズだった。
プロ野球のキャリアは南海(現在の
ソフトバンク)でスタート。メジャーで芽が出なかったジョーンズだったが、南海では本塁打を量産、73年には南海として最後のリーグ優勝に貢献した。だが、そのオフには自由契約に。32本塁打を放ってはいたが、93三振を喫していて、その三振の多さが欠点とされたのだ。
そして移籍したのが近鉄。ジョーンズは真価を発揮する。やはり持ち味は豪快なフルスイングだ。移籍1年目から自己最多の112三振。その一方で、やはり自己最多の38本塁打を放って、これで本塁打王のタイトルを獲得した。最終的には南海4年、近鉄4年で帰国したが、通算246本塁打は当時では助っ人の通算“本塁打王”だ。とはいえ異名は“アメリカ製扇風機”。扇風機とは、しばしば三振の多い長距離砲が揶揄されるときに用いられる比喩だ。だが、ファンを熱狂させたことを考えると、これも一種の勲章なのかもしれない。
写真=BBM