“猛虎フィーバー”の胴上げ投手
85年、来日1年目に13勝をマークしたゲイル
この2024年で開場から100周年を迎えた甲子園球場が高校野球の聖地であることは論をまたない。とはいえ、プロ野球の
阪神、いや阪神ファンにとっても、その聖地ぶり(?)では負けていない気がする。現在進行形の熱狂は高校球児に任せて、ここでは歴史を振り返ってみたい。
宝石しかり、最近の新札しかり、希少性には価値があるという。確かに、希少であることは印象的だ。その意味では、もっとも甲子園球場を沸かせた助っ人は1985年のリーグ優勝、日本一を象徴する
ランディ・バースだろう。21年もリーグ優勝歓喜から遠ざかった末の頂点、そして2リーグ制となって初めての日本一であり、そこからの転落劇もあったから、85年のインパクトは現在でも大きい。
そのバースに続く
掛布雅之、現在の監督でもある
岡田彰布らクリーンアップの“バックスクリーン3連発”など、85年のチームは打線の印象が強いが、いくら打線が爆発しても、投手陣が崩壊していたら頂点へ駆け上がるのは難しかったはずだ。この85年の投手陣を支えたのが来日1年目の助っ人。右腕の
リッチ・ゲイルだ。
現役メジャー・リーガーの投手といえば剛速球のイメージも強かった時代。2メートルの長身から投げ下ろすだけではなく、時にスリークォーターから多彩な変化球を投じるスタイルは、キャンプでは「期待はずれ」の声を呼んだ。だが、バースからの「ニッポンの野球に順応すること」という助言もあり、1球ごとに投げ方を工夫して、開幕から順調に勝ち星を積み重ねていく。
西武との日本シリーズでは第6戦で完投し、胴上げ投手になった
自責点も少なくなかったが、それを補って余りある打線にも助けられて、9月には2ケタ10勝に到達して、最終的に13勝。優勝決定試合にも先発したが、リーグ優勝が決まったのは神宮球場で、“聖地”での歓喜は逃している。この悲願がかなったのは日本シリーズ。黄金時代の西武を下して第6戦で日本一。胴上げ投手となったのは、この試合を完投してシリーズ2勝、優秀選手にも選ばれたゲイルだった。
翌86年は
吉田義男監督との衝突もあって、退団。活躍した期間の短さも、その希少性を際立たせた“助っ投”だった。
写真=BBM