周囲の期待が重圧に
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東海大・鵜沼が試合を決める一打を放った[写真=大平明]
【10月5日】首都大学一部リーグ戦
東海大4x-3桜美林大
(東海大2勝)
首都大学リーグ第5週2日目。3対3の9回裏一死一、二塁。東海大の
鵜沼魁斗(4年・東海大相模高)が放った打球は、必死に追いかけるセンターとライトの頭上を悠々と越えていった。
桜美林大を下すサヨナラ打を記録した鵜沼は「外野手のポジションも確認していたので、打った瞬間『抜けた』と思いました。いつもこういう場面では四球が多く、サヨナラヒットは人生で初めてだったので気持ちよかったです」と殊勲の一打を振り返った。
鵜沼は2019年、U-18侍ジャパン日本代表に高校2年生ながら選出。1学年上の
奥川恭伸(
ヤクルト)、
佐々木朗希(
ロッテ)、
宮城大弥(
オリックス)らとともに日の丸を背負って戦った(結果は5位)。
東海大では1年春からリーグ戦に出場。2年春には10試合に出場して打率.308をマークした。しかし、規定打席に到達したのは3年秋の1回のみ。やはり、周囲の期待がプレッシャーになっていたことは想像に難くない。
「(当時の東海大相模高の)門馬敬治監督(現・創志学園高監督)からは『気にするな』と言われ、高校時代は『東海大相模の鵜沼』。今は『東海大の鵜沼』だと思って、意識せずにやってきたつもりですが正直、プレッシャーを感じていたところはあります」
この4年間はケガとの闘いでもあった。活躍をしたと思ったら、故障で戦列を離脱することの繰り返し。今季も6月にヒジを手術。この夏は振り込みに励むチームメートを見ていることしかできず、オープン戦も満足に出場することができなかった。
そのなかで調子を上げていくために「スイング量ではチームメートに及ばないので、一球一球を本気で振ることを意識して、バッティングピチャーに投げてもらったボールを打ってきました」。今秋のリーグ戦は実戦感覚が戻らないままにシーズンイン。当初は痛み止めの注射をうちながらのプレーだったと明かすが、それでも開幕カードの筑波大1回戦では最初の打席で2ラン。鵜沼は「たまたま振ったところにボールが来ただけです」と話すが、ド派手な一発でチームの勝利に貢献した。
しかし、その後はなかなか調子が上がらず、スタメンを外れることも増えた。そんななか長谷川国利監督は「鵜沼には『思い通りにならなくても、そこで努力することやめてしまったら終わり。一生懸命に頑張るしかない』と話をしました」という。
頭に浮かんだ見逃し三振の打席
桜美林大2回戦では、4回裏に代走として出場し、そのまま指名打者に残った鵜沼。中盤までは先行を許す厳しい展開だったが、1打席目は死球。8回裏の2打席目は送りバントを決めて同点に追いつくきっかけを作った。
そして、9回裏は前の打順に入っていた主将・植本拓哉(4年・明石商高)が内野安打でつないで一死一、二塁。「植本が『勝ちたい』という姿を見せてくれた」とチャンスでの打席に燃えていた。また、同時にその時の鵜沼の心には前週に行われた日体大2回戦での打席が思い浮かんでいた。
1点を追う9回に代打で起用されたが見逃し三振でゲームセット。「最後のバッターになってしまい、それからずっと練習でも打てていなかったのですが、あの見逃し三振があったのでこの打席では最初のストライクから打っていこうと思っていました」。
2ボールとなり「ストライクを取るのが大変そうだったので、ストレートを狙っていきました」という3球目。狙い通りの真っすぐをたたいた打球は右中間を深々と破っていった。
「今季は調子が悪かったからこそ、なんとか打ちたかった。『最後は気持ちだ』と思っていました」。そんな鵜沼の執念が乗り移ったかのような一打が東海大に今季2つ目の勝ち点をもたらし、長谷川監督も「鵜沼は場数を踏んでいるだけあって、勝負勘がある選手。サヨナラのような、ああいう場面では任せられる」と評価した。
今シーズンも終盤に差し掛かり「優勝は難しいかもしれませんが、絶対に3位以上になって関東大会に進み、明治神宮大会に出場したい。今年は主将の植本を中心に本気で日本一を目指してきたので、自分も副主将として支えたい。この4年間は思うような結果を残すことはできませんでしたが、最後に勝てればいい」と鵜沼。卒業後は社会人でのプレーすることが内定しているがその前に、思うようなプレーができずに苦しんできたこの4年間の思いを学生最後のシーズンにぶつける。
文=大平明