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中西太、優しき怪童

『中西太、優しき怪童 西鉄ライオンズ最強打者の真実』/06「少々守備に難があってもショートで豊田君を使い切ったのは、三原さんの洞察力やな。それで豊田君の素晴らしい闘争心と、思い切りのいい打撃が生きた」

 

豊田泰光の入団


中西太、優しき怪童』表紙



 昨年2023年に亡くなられた元西鉄ライオンズの中西太さん。このたび怪童と呼ばれた中西さんの伝説、そして知られざる素顔を綴る一冊が発売されました。

 書籍化の際の新たなる取材者は吉田義男さん、米田哲也さん、権藤博さん、王貞治さん、辻恭彦さん、若松勉さん、真弓明信さん、新井宏昌さん、香坂英典さん、栗山英樹さん、大久保博元さん、田口壮さん、岩村明憲さんです。

 今回は西鉄入団2年目の1953年の話を抜粋します(一部略)。

「戦争のあとというのは1年でまったく違うんや。世の中も、人もそうだった。がらりと変わる。わしの1年後に豊田君が入ってきたが、まったくわしらと違った。ズケズケものを言うしな(笑)」

 プロ1年目を終えたあと、1953年に水戸商高から入った豊田泰光だ。この年は、ほかに投手の河村久文(のち英文)、西村貞朗、外野手の高倉照幸ら、その後、中軸となっていく高卒選手が入団。顔は怖いが気は優しい中西と違い、豊田は眼光鋭い顔立ちのとおり、人一倍負けん気が強く、先輩選手や年上のマスコミにもまったく物おじしなかった。

 実力もあった。前年の中西同様、キャンプの打撃練習で猛アピールをしたが、中西との違いは守備だ。入団時からサード守備もうまかった中西に対し、豊田の守備は今一つ。それでも三原監督は開幕3戦目に九番ショートでスタメン起用。いきなりエラーをして途中交代となったが、翌戦もスタメン起用されると第1号本塁打を放ち、そのまま打ちまくって定位置をつかんだ。

 ただ、守備では変わらずエラーばかりで、よそ者に厳しかった西鉄ファンをカッカさせた。しかも、豊田にはまったく罪はないが、開幕からショートのスタメンに入っていたのが、地元の名門・修猷館出身の河野昭修だ。どうしても「うちの河野を生意気で下手くそな水戸の豊田がはじき出した」となる。

 エラーや凡退のたび、味方ファンにも強烈にヤジられ、先輩選手に怒鳴られた。要のショートだけに失点につながるエラーも多く、「わしが投げるときはトヨを外してください」と川崎徳次が三原監督に直訴したこともある。

 それでも三原監督は使い続けた。豊田もまた、ひるむことなく、なにくそと反骨心を燃やし、ヤジった客をにらみつけ、文句を言う先輩には不敵に目を光らせた。

「少々守備に難があってもショートで豊田君を使い切ったのは、三原さんの洞察力やな。それで豊田君の素晴らしい闘争心と、思い切りのいい打撃が生きた。彼には、どんな場面も思い切りいける度胸がある。本人も守っていたときは不安があったと思うよ。でも、豊田君はエラーしても打てばいいと考えられる男だった」

 最終的には打率.281、27本塁打で新人王となったが、三振92、失策45は、いずれもリーグ最多。三原らしく先を見ての我慢の起用でもあった。
週刊ベースボール編集部

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