ベストナイン経験者は3人だけ

90年、15試合でマスクをかぶったロッテのディアズ
プロ野球の長い歴史を彩ってきた外国人選手たち。歴代の助っ人の中からベストナインを選ぼうとすると、どんな顔ぶれになってくるのだろうか。もちろん、優勝への貢献度にファンの人気などもあるから、誰か1人を決めるのは困難なのだが、ひとまず彼らが残した字を参考に、助っ人たちの輝きを振り返ろう。
前回の投手に続き、今回は捕手。現在のプロ野球を見ても分かるが、この2024年は
日本ハムの
アリエル・マルティネスがオールスター第1戦(バンテリン)でマスクをかぶって存在感を見せたとはいえ、歴代でも捕手の助っ人は極めて少ない。時代を平成にさかのぼると、1990年にロッテの
マイク・ディアズが15試合でマスクをかぶったが、どちらかといえばファンサービスで、とても正捕手といえる存在ではなかった。
さらに昭和までさかのぼれば、「日本国籍ではない捕手」という意味では東映(現在の日本ハム)で
白仁天が正捕手を務めたことがあったが、日本の統治下にあった韓国で生まれたということで当時の規約により外国人選手という扱いではなく、また選手としても、その後の外野手としての印象のほうが強い。ただ、現在の2リーグ制となったのは50年代だが、そこまで時間をさかのぼれば、外国人の捕手は散見されるようになってくる。
外国人捕手の黄金時代、というのは大袈裟だが、2年連続で両リーグとも外国人捕手がベストナインに選ばれたのが1954年と55年で、セ・リーグではハワイ出身で日系人の
広田順(
巨人)が、パ・リーグでは
チャーリー・ルイス(毎日、現在のロッテ)が選出されている。ちなみに広田は53年から3年連続で、当時は巨人を中心にハワイ出身の日系人選手が黄金時代を迎えていた時期でもあった。
さらに時代をさかのぼると、やはりハワイ出身で、“カイザー”の異名もあった
田中義雄(
阪神)が40年に初代のベストナイン捕手に。田中は37年の秋季から7年間にわたって阪神で正捕手を務めた。その37年の秋季には、片言の“ささやき戦術”を駆使した
バッキー・ハリス(イーグルス)が捕手でMVPに選ばれている。
写真=BBM