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プロ1年目物語

【プロ1年目物語】史上最高の遊撃守備、新人最多56盗塁…無名のドラフト5位小坂誠の歴史的快進撃!

 

どんな名選手や大御所監督にもプロの世界での「始まりの1年」がある。鮮烈デビューを飾った者、プロの壁にぶつかり苦戦をした者、低評価をはね返した苦労人まで――。まだ何者でもなかった男たちの駆け出しの物語をライターの中溝康隆氏がつづっていく。

行く気すらなかったプロ


ロッテ1年目の小坂


「打球判断も素晴らしく、一歩目のスタートも早い。投手の足元を打球が襲い、センターへ抜けたと思ったのが何度捕られたことか。どんな打球も追いついて正面で捕るから、派手なプレーをする必要もない」(週刊ベースボールONLINE/2024年6月9日)

 かつて西武の監督を務めた伊原春樹は、「守備面で言えば歴代最高の遊撃手」だと対戦経験のある“平成の牛若丸”を称賛している。そのショートストップとは、小坂誠である。

 決して注目されてのプロ入りではなかった。社会人野球のJR東日本東北に5年間在籍。1995年から2年連続して都市対抗に出場するなど、堅実な守備とベース1周13.9秒の俊足で知られていたが、身長167センチの小柄な体形からプロ側の評価は高くなく、本人も行く気すらなかった。都市対抗の1回戦で日本生命と対戦した際、相手チームにいたデビュー戦の福留孝介が本塁打を放ったのを「さすがだなあ」と他人事のように感心したという。

「体力的にも不安がありましたし、社会人の時、けがとかも多かったんで『これじゃあ駄目だなあ』と思って。ドラフトでも絶対かかるわけなって思いながら……。当日を迎えたら、会社の先輩に「おめでとう!」っていう風に言われたんで、何が「おめでとう!」なのかなあって思って」(週刊ベースボール1997年6月9日号)

ロッテ新人入団会見。後列左端が小坂


 実は95年もロッテから熱心に誘われるも、「プロでやる自信がない」と返事を保留。それでも96年の夏頃からスカウトが再び試合に来るようになり、その秋のドラフト会議でロッテから5位指名を受ける。両親は社会人野球をやめたあとも安定している大企業をやめることはないとプロ入りに反対したという。なお、同年の目玉は、アトランタ五輪の日本代表チームにも選出された同じ遊撃手の井口資仁(青学大)である。入団前から週べの表紙を飾り、“20世紀最後の大物野手”と称されるゴールデンルーキーの井口とは対照的に小坂は静かにプロ1年目の春季キャンプを迎えた。だが、その小柄な無名のルーキーの俊敏な動きは、「小坂をキャンプ中、一軍練習に参加させて徹底的に鍛える。『二番・遊撃手』のレギュラーとして、開幕から使いたい」といきなり近藤昭仁監督を唸らせる。

 97年2月22日に行なわれた紅白戦では、小宮山悟ら主力投手相手に三塁打と絶妙なバントヒットで3打数2安打のアピール。守っては4回二死満塁で三遊間の当たりを華麗にさばきピンチを救う。週ベ1997年3月31日号では、「D5位ルーキー大活躍!!」とオープン戦で松井秀喜(巨人)に次ぐ2位の打率をマークし、3月8日新人戦でホープ賞の活躍を見せる小坂の開幕一軍当確を報じている。古巣のJR東日本東北の入社式用ビデオに出演するなど、新人でオープン戦首位打者となればドラフト制後初の快挙とにわかに騒がれ出す。ロッテ球団も自チームの新人では異例のグッズ販売に乗り出すことを決定。オープン戦終盤に風邪を引いてしまい4試合欠場したことから規定打席には達しなかったものの、31打数12安打、打率.387の好成績でフレッシュマン大賞に選出された。臨時ボーナスの賞金20万円にも、背番号00は「僕なんかがもらっていいんですかねえ」と控え目なコメントを残している。

攻守走でハツラツとプレー


開幕からシュアな打撃を披露した


 4月5日開幕の日本ハム戦、「二番・遊撃」でスタメン出場した小坂は決勝打を含む3打数3安打2打点の大活躍。新人史上9人目の開幕戦猛打賞デビューとなった。さらに開幕から8試合で打率.519、3盗塁という凄まじい活躍に早くも週ベ1997年4月28日号で独占インタビューが掲載される。

「(理想の選手像は)打者では、福本豊さん。できれば、単打だけじゃなくて、長打も打てるような選手になりたいですから。福本さんのようにはいかないですけどね。尊敬する人ですし、憧れの人でもあります。他には松本匡史さんにも、憧れてました」

 セ・パの歴代盗塁王の名前を口にする小坂だったが、「イチローの4年連続首位打者は僕が止める!」なんてことは……と質問を投げかけられても、「(真面目に)イチローくんは“雲の上の人”ですから」と流すポーカーフェイスのルーキーであった。打率4割超えで開幕から13試合守り通した首位打者の座は4月20日に明け渡すも、打率.352で4月度月間MVPに選出。「本当に僕なんですか、僕でいいんですか、どうして僕なんですか?」と初々しいコメントを残したプロ1年生に引っ張れるようにチームも5月1日に単独首位に躍り出る。ロッテにとって5月の首位は14年ぶりの快挙だった。一番打者の諸積兼司は週べの直撃に、「僕が好調な理由はやっぱり(二番に)小坂かいるから。僕が出なくても、彼が出てくれる。そんな安心感があって、リラックスして打席に入ることができるんです」と相棒の背番号00の働きに感謝を口にした。

 JR東日本東北出身のルーキーの快進撃に限定500枚の特製オレンジカード(JR全線で使えるプリペイドカード)が発売され、5月13日の地元・仙台での日本ハム戦で先行発売された。週べ97年6月9日号では人気コーナー「谷村志穂の野球に逢った日」のゲストで登場。日記を付ける意外な一面を語り、「社会人の時は僕くらいの身長の人は結構いたんで、違和感なかったんですけど。いざプロの世界に飛び込んでみると、みんなこう見上げる人たちばっかりだったんで」と戸惑う新人の顔を見せた。5月26日現在で打率.279と開幕直後の勢いはなくなるも、併殺はなく13盗塁。球界屈指の広大な守備範囲に加え、送球の速さと正確性を誇る遊撃守備は“小坂ゾーン”と称された。アマ時代から小坂を知る宮本慎也(ヤクルト)は、のちに週べの遊撃手論インタビューで、歴代ショートの守備について「いい選手はたくさんいましたが、小坂よりすごいのはいなかった」と証言している。

1年目から安定感抜群の遊撃守備を見せた


 6月8日の西武戦ではプロ初のサヨナラ安打。小坂は営業面でも、オフからの伊良部秀輝のメジャー移籍問題を巡るゴタゴタで、イメージダウンしたチームの救世主となる。オールスターファン投票で近藤監督は「小坂がファン投票1位になるように、(ロッテ)本社に協力してもらうよ」と全面バックアップを要望。最終的に監督推薦での出場となったが、新人としてはチーム42年ぶりの抜擢に、本人も「(球宴期間)はマリンで練習するつもりだったんですが……」とやや戸惑いぎみ。前半戦終了時、打率.276、30盗塁。松井稼頭央(西武)や村松有人(ダイエー)と盗塁王争いを繰り広げる韋駄天は、夢の球宴第1戦で代走として出場するとすかさず初球に二盗を決めてみせた。

「ショートにボールが飛んだときは安心して見ていられるな」と近藤監督もその守備力には絶大な信頼を寄せ、5月以降失速して最下位に低迷するチームにおいて、次世代のリーダーを担える実力者の小坂を開幕からフル出場させた。体力面が不安視されたが、試合前の午前中からウエート・トレーニングを欠かさず、夏場には自腹で数十万円もするトスマシンを購入して黙々と練習に励んだ。

イチローに次ぐ“第二の球界の宝”


“足”でもチームの勝利に大きく貢献した


 8月15日の近鉄戦で37個目の盗塁を決め、長嶋茂雄(巨人)の新人時代の盗塁数に早くも並ぶ。8月22日の近鉄戦では、この年開業した大阪ドームの右翼スタンドへプロ初アーチ。97試合目、425打席目の初本塁打だった。実は小坂は社会人時代に通算35発を記録している小力の持ち主でもあった。8月30日の日本ハム戦では2盗塁を決め、パ・リーグ新人記録を更新する41盗塁に到達。さらには9月6日の西武戦、盗塁王を争うライバル松井稼頭央の前で45盗塁目。1952年に佐藤孝夫(国鉄)がマークした新人盗塁プロ野球記録に45年ぶりに並んだ。実は佐藤と小坂は同じ宮城県出身で、佐藤が所属していた仙台鉄道管理局は、小坂がプレーしていたJR東日本東北の前身企業だった。ヤクルトスカウトに転身した佐藤が同郷の後輩をリストアップするもチーム事情から指名を断念。ドラフト前にロッテGMの広岡達朗に小坂の情報を伝えていたという縁もあった。

 地元・宮城県亘理郡山元町では後援会発足の動きが高まり、JR京葉線海浜幕張駅前「マリーンズボールパーク」にて「小坂選手の盗塁数当てクイズ」が実施されるほどのお祭り騒ぎ。9月11日のオリックス戦、4回に二盗を決め、これがシーズン46個目の盗塁。ついにドラフト5位ルーキーが新人最多盗塁記録を更新してみせた。

「先輩の佐藤さんの記録を抜いて、うれしい。僕はお客さんが喜んでくれるように努力したい」

 そんな小坂の控え目な喜びの声を伝える週ベ1997年10月6日号では、「小坂誠の『シンデレラ・ロード』まっしぐら」という特集記事が組まれた。近藤監督の「小坂はイチローに次ぐ“第二の球界の宝”。大事に育てなくてはならない」という最大級の賛辞と、前記録保持者の佐藤からは「僕らの時代はキャッチャーの肩が弱かった。今の記録の方がずっと価値がある。後輩に記録が抜かれたのだから、うれしいよ」と祝福の言葉が贈られている。最終的に小坂は盗塁王こそ逃すも、この年限りで引退する西村徳文の持つ球団記録55を更新する56盗塁まで記録を伸ばし、令和の今も新人最多記録として破られていない。

見事に新人王のタイトルにも輝いた[右はセ・リーグ新人王の広島沢崎俊和]


 チームでただひとり135試合にスタメンフル出場を果たし、打率.261、1本塁打、30打点、56盗塁、38犠打。球団23年ぶりかつ、5位指名から下克上の新人王に輝き、翌年から「背番号1」に変更することも決まった。

 猛打賞の衝撃デビューを飾り、同期の新人捕手・清水将海とお立ち台に呼ばれた1997年4月5日の開幕戦。デーゲームで行なわれたこの試合、小坂は埼玉県浦和市の合宿所から、水道橋の東京ドームまで初体験の朝のラッシュにもみくちゃにされながら電車通勤したという。恐らく、周囲の乗客からは身長167cmで童顔の新入社員の慣れない通勤風景に映ったことだろう。だが、下克上ルーキー小坂誠の快進撃は、栄光に向かって走るあの列車から始まったのである。

文=中溝康隆 写真=BBM
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