多くの人材を球界に輩出した名将

1996年のドラフトで青学大からは4人が指名を受けた。28年が経過し、恩師・河原井氏の出身地に集まり、野球教室を開いた。左から清水氏、倉野氏、河原井氏、井口氏、澤崎氏[写真=BBM]
「第1回 河原井正雄会 野球教室 supported by 三高電気株式会社」が12月8日、小倉クラッチ・スタジアム(桐生球場)で行われた。地元の群馬県桐生市出身の河原井氏は桐生高、青学大、本田技研で活躍し、1987年から母校・青学大を指揮。東都大学リーグ戦優勝12度、全日本大学選手権優勝4度へと導いた名指導者だ。在任中は32人のプロ野球関係者のほか、メジャー・リーガー、社会人球界にも多くの人材を輩出した名将である。
野球部の卒業生が立ち上がった。1996年、主将・
井口資仁氏(
ロッテ前監督)が率いた青学大は全日本大学選手権で3年ぶり2度目の優勝を遂げ、全日本アマチュア王座決定戦では社会人野球日本選手権を制した住友金属を制した。ドラフトでは遊撃手・井口がダイエー1位(逆指名)、右腕・
澤崎俊和氏が
広島1位(逆指名)、右腕・
倉野信次氏がダイエー4位、捕手・
清水将海氏がロッテ1位(逆指名)でプロ入りし、「青学大史上最強世代」と言われていた。清水氏は東農大二高出身であり、今回は故郷・群馬で力を発揮する場となった。井口氏は野球教室開催の経緯を語る。
「昨年12月、同期で集まったときに『こういうことをやりたいね』という話になり、(河原井監督と同郷・高崎工高出身の)四十万(善之、元日本通運)が中心にまとめてくれ、(共催の)桐生市がプロジェクト(後援=球都桐生プロジェクト推進協議会)の中でやってくれたのが大きかった。全員で集まれたのは何十年ぶり。こういう機会に感謝しています」
今回の実行委員会として尽力した四十万氏は地元・高崎市で仕事の傍ら「四十万道場」を運営し、野球の振興・普及に関わっている。現役時代は巨漢の右打者。アマチュア王座決定戦では「四番・一塁」で勝利に貢献した。
「私は大学4年間、誰よりも怒られ続けてきました(苦笑)。50歳を過ぎて、その中で、今の私があると思っています。教え子として何か恩返しができないないかと、企画しました。約1年前から日程を設定し、同期9人全員がこうして集まることができました。前日には監督ら関係者と懇親会を開いたんですが、学生時代を通じて初めて褒められました。喜んでいただき、それが、うれしかったです」
中学生には夢のような時間

井口氏は中学生を相手に打撃指導。ロングティーを上げる光景もあった[写真=BBM]
この日は午前中から守備練習(投手は投内連携)、午後は打撃練習(投手は投球練習)と約5時間、充実メニューが組まれた。元プロの講師たちは、手取り足取りの熱血指導。受講者は群馬県内のチームに所属する中学3年生100人。ほとんどが高校で硬式野球を継続する選手たちであり、この日は硬式球で練習が行われた。井口氏は「手が足りなかったので」と、ロングティーのティー上げ役を買って出るシーンも。中学生には夢のような時間だ。
「野手が多過ぎて、全員には教えられなかったですけど、硬式野球をやって、高校もほとんど、進路先が決まっていると聞いており、レベルも高かったので、今後が楽しみです。何よりも、河原井さんの名前がついた野球教室が実現できた意義は大きいと思います」

群馬県桐生市出身の河原井氏は、地元の中学3年生に熱血指導した[写真=BBM]
河原井氏は言う。
「中学生にしても、なかなか、こうした場はないかと思います。一生の思い出として残るはず。この1日が良いきっかけになってくれれば、と。開会式でも言いましたが『君たちが主役だ』と。『来て良かったと思えば成功だ』と。満足してくれたのではないかと思います。この先、野球を続けていく中で、今日という日を思い返してくれればうれしいです」
河原井氏は卒業生9人への感謝を述べた。
「皆、12月という多忙な時期にプロの現役コーチほか、福岡など遠方からも集まってくれた。桐生市にはもったいないぐらい、豪華なメンバーが力を貸してくれた。忙しい中で『ありがとう』という言葉しか見つかりません」

河原井氏[右]と同郷で、高崎工高出身の四十万氏[左]が運営に尽力[写真=BBM]
四十万氏は「来年以降も毎年、開催していきたいと思っています」と明言した。群馬の野球を、さらに活性化させるため「県内の端まで行ってみたい」と見通しを語る。高崎、前橋、伊勢崎ら受け入れ先が整った場所で順次、実施していきたいという。河原井氏も「かつては齋藤章児さん(東農大二高、立大元監督、故人)が長く、群馬の高校野球をけん引していました。青学大を指揮していたころは『群馬県出身の選手を入学させてほしい』との依頼があり、
高山健一(広島スカウト)、清水、四十万、岡野(勝俊、Honda鈴鹿ヘッドコーチ)らを入学させた経緯があります。群馬県の野球が発展するために、微力ながら活動を続けたいです」と意欲を語った。

1996年に全日本アマ王座決定戦を制した当時の写真を背景にして、河原井氏を中心に卒業生9人が同じ並びで集合写真に収まった[写真=BBM]
以下は閉会式での講師のコメントである。
「ここに来ている皆はプロ野球、メジャー・リーグに行きたいと思っている選手たちだと思います。その目標に向かって、最後まで強い意志を持って頑張ってほしい。必ず、壁にぶつかることがあると思いますが、そこを自分の力で乗り越えることが一つの財産、大きな自分を見つけることができる。同じユニフォームを着る機会があるかもしれない。それを、我々も期待しています」(井口資仁氏)
「今日という一日は、私たちとの何かの縁だと思いますので、これからも、上を目指して頑張ってください」(澤崎俊和氏)
「僕は投手を中心に、20人ほどを見たんですけど、ホークスに推薦したいと思った選手が20人いましたので(場内爆笑)、スカウトに報告したいと思います。井口も言っていたように、同じユニフォームを着られるように、皆さんは努力して、親への感謝の気持ちを忘れずに、これからも練習をしていったほしいと思います」(倉野信次氏)
「(群馬県出身の講師を代表して)『第1回 河原井正雄会 野球教室』が開催できたことをうれしく思います。今後の活躍を祈っています。本日はありがとうございました」(清水将海氏)
文=岡本朋祐