オリックスとDeNAの系譜が優勢?

横浜で二塁手として強打を発揮したローズ
前回は歴代に三冠王2人がいる助っ人の一塁手を振り返ってみたが、今回は二塁手。遊撃手ほどではないものの全体的に職人タイプが多く、打者としてはヒットメーカー型が多い印象のあるポジションだが、打者としては強打、それも本塁打を求められる傾向が強かった助っ人に絞ると、どんな二塁手がいただろうか。
外国人選手で初めて二塁のベストナインに選ばれたのは1958年の
ロベルト・バルボン(阪急。現在の
オリックス)だった。“チコ”の愛称もあった陽性のキャラクターで、のちに通訳として極端に省略した翻訳で笑いを誘うなど、助っ人の歴史を語る上では欠かせない存在。選手としては研究熱心で俊足巧打、通算308盗塁は外国人選手としては最多だ。
そんなバルボンが通訳をしていた阪急の後輩、
ボビー・マルカーノも二塁手だった。バルボンは優勝を経験できなかったが、マルカーノは阪急の黄金時代を支えた二塁手で、70年代の後半に4度のベストナインに選ばれている。バルボンとマルカーノの間で60年代に阪急からベストナインに選ばれたのが
ダリル・スペンサーで、敵チームからは“怪物”、チームメートからは“野球博士”と呼ばれた異色の助っ人だ。パ・リーグは60年代に助っ人の二塁手が全盛期を迎え、
ジャック・ブルーム(近鉄)や
ドン・ブレイザー(南海。現在の
ソフトバンク)も受賞。いずれもプロ野球に大きな影響を与えた助っ人たちだ。
一方のセ・リーグは72年の
ジョン・シピン(大洋。現在の
DeNA)が最初の受賞者。風貌から“ライオン丸”の異名を取り、
巨人でもプレーした。セ・リーグでは70年代が全盛期で、巨人からは76年に
長嶋茂雄監督の最下位からの逆転優勝に貢献した
デービー・ジョンソン、78年に初の日本一に輝いた
ヤクルトから
デーブ・ヒルトンが受賞。79年に大洋から
フェリックス・ミヤーンが選ばれてから、大洋の系譜が強い印象となる。それを決定的にしたのが
ロバート・ローズで、90年代から2000年にかけて5度の受賞は最多。21世紀に入って01年に
エディ・ディアス、04年に
グレッグ・ラロッカら
広島の助っ人がベストナインに選ばれている。
写真=BBM