ファイターズ創設50周年にあたり栄光に彩られた歴史、数多のスターたちを網羅した『ファイターズ50年史』が発売中。そこで誌面の一部を週ベ特別編集版にて「ちょっと出し!」。投打二刀流で球界に革命を起こした男の「プロ初登板捕手」「プロ初勝利捕手」を務めた鶴岡氏が体感したポテンシャルとは。 ダルビッシュと同じくらいの衝撃
最初は「どんな選手なのだろう」と私自身もすごく興味がありました。
大谷翔平選手のお父さんが私と同じ三菱重工横浜の野球部に在籍しており、先輩にあたるのですが、大谷選手はもちろんそのことを知っていて、初めて会ったときも「父が鶴岡さんと同じ社会人野球チームです。よろしくお願いします」と、しっかりあいさつをしてくれました。
丁寧なあいさつの仕方や話し方など、礼儀をわきまえた素晴らしい好青年だな、というのが最初の印象です。僕も父親になっていたので、「どうやったらこんな素晴らしい育ち方をするんだろう」と、そちらのほうにも興味が湧くほどでしたね。
キャンプで初めて彼のボールを受けました。それ以前に
ダルビッシュ有投手のボールを受けていたので、「それ以上のボールは来ないだろう」と思っていたのですが、衝撃がものすごかった。ダルビッシュ投手と同じくらいの衝撃がありました。
ただ、確率はまだ低かったですね。ものすごいボールは5球投げて1球来るか来ないかという感じ。スライダーはものすごく曲がるし、フォークもとんでもなく落ちるのですが、やはり確率は低い。ただ、それが逆に伸びしろというか、将来の大きな可能性を感じさせてくれました。
もちろんバッターとしても、1年目の最初から大きな可能性を示していました。春季キャンプで私が国頭へ調整に行ったときには、バッティング練習で左中間に次々とホームランをたたき込んでいたんです。
普通であればルーキーは思い切り引っ張って、飛距離を出してアピールしたいと思うものですが、彼はセンターを中心にバックスクリーンの左、左中間方向にホームランを打っていました。それを見たときに、「バッティングについてもすごく考えてながら取り組んでいるな」と思いましたし、何より左中間方向にそれだけ飛ばせるバッターを見たことがありませんでした。
球界全体に与えた大きなインパクト
当時は「本当に二刀流ができるのか」といった懐疑的な声も含めて、賛否両論がありました。ただ、彼の投打を目の当たりにすると、栗山(
栗山英樹)監督も含めてだと思いますが、挑戦する、しないではなく、「これはもう、どちらもやめさせられないよね」という雰囲気になっていました。
球界全体に与えたインパクトも大きかったと思います。技術もそうですが、フィジカルに関しての妥協が一切なかったところですね。やはり必要な筋肉をしっかりとつけて、パワーがつけなければ、技術も十分には生かされない。当然、当時から将来MLBでプレーして、活躍することを思い描きながら取り組んでいたのでしょう。実際に彼が現れて以降は球界全体のトレーニングの質が向上していったように感じました。
ダルビッシュ投手と大谷選手の存在が今のファイターズの礎のひとつになっていると思いますし、だからエスコンフィールドに2人のウォールアートがあるわけです。そんな2人とファイターズで一緒にプレーできたことは誇りに思います。
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