「ヤイバの上を裸足で歩く……」と江夏豊は少しテレながら“優勝請負人”と呼ばれることをそう言った。
阪神から南海、そして広島に移籍し、いよいよ「優勝」が現実のものとなった1979年9月の末だ。
そのくせ本当は涙を必死でこらえていた……。広島を連覇、日本ハムを優勝させながら、心ならずも5球団を渡り歩いた左腕がマウンドで見せた「気骨」。
陰でそれを支えたものは何だったのか? 文=水本義政
写真=BBM

▲阪神時代。1967年に入団し、75年まで最も長く在籍した
孤独のエースにも2人の良き理解者がいた いまにして思うに、江夏豊は「ワシの涙はワシがふきますヮ」という哲学が常に流れていた。少しキザでしびれるようなロマンチックなセリフが似合うヤツなんて、もうとっくにどいつもこいつもみんな太平洋を飛んでメジャーに行ってしまって……日本では“絶滅危惧種”になってしまった。
なのに、その一匹狼・江夏の若くて火傷しそうな反抗期に「余計なお説教と頑固一徹」を教育したうるさい、それでいて江夏が頭のあがらない先輩が二人いた。
一人は
村山実。阪神でエースのプライドを徹底的に叩き込んだ。説明する必要はあるまい。打倒・
長嶋茂雄に命をすり減らした炎のエースである。「ユタカ、お前・・・
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