伝統球団である阪神タイガースの背番号は、野手番号から投手番号となる背番号も出てきて、新しい時代へと移り変わっている。 
70、80年代は田淵などの正捕手番号であった「22」は、今や藤川の守護神番号として定着している
「22」が抑えの象徴になっていく
阪神の「22」と言えば終戦後、
後藤次男(50-51)や
田宮謙次郎(52-58)といった野手(田宮は投手で12勝)が着け、1969年からは法大から入団した捕手の
田淵幸一が背負った。
その田淵は東京六大学野球で当時の本塁打記録「22」を放つなど大活躍。阪神でも1年目から大活躍し、新人ながら「22」本の本塁打を放ち、捕手としては当時史上初の新人王にも輝く。このように1年目から背番号22にちなんだ活躍で、「田淵=22」のイメージが定着した。入団4年目からは5年連続30本塁打以上を放つなど、球界を代表する長距離砲として活躍。75年には
巨人の
王貞治の連続本塁打王を阻止、初の本塁打王のタイトルを手にして「ミスタータイガース」と言われた。しかし、78年オフに
西武へトレードとなる。
その後「22」は4年間空白も・・・
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