高校時代にセンバツで優勝を飾り、中日に入団。広島で現役生活を終えると打撃投手として13シーズンを過ごした。地元で絶大な人気を集める小さなサウスポーが一念発起。2年前から名古屋市内でわらび餅屋を営んでいる。 取材・文=滝川和臣、写真=BBM 89年のセンバツ高校野球、エースとして優勝
1994年、中日と
巨人によるペナント最終戦、リーグ優勝が直接対決で決まる「10.8」において、中日の2番手としてマウンドに上がり
松井秀喜に一発を浴びたサウスポーである。しかし、それよりも89年のセンバツ高校野球で東邦高のエースとして、
元木大介(元巨人)、
種田仁(元中日ほか)らを擁した上宮高と決勝で対戦。劇的なサヨナラ勝ちで優勝を果たしたエースと説明したほうが、
山田喜久夫の名前は知られているかもしれない。
プロ生活は8年間。中日、広島で主に中継ぎで活躍し、99年いっぱいで現役を引退した。その後、横浜で8年間、古巣の中日で5年間を打撃投手として過ごしたのち、現在はナゴヤドームの近くでわらび餅店を経営する。プロ野球を離れ、なぜわらび餅を生活の糧とすることを決意したのだろうか。
「2012年に中日で打撃投手をやめるときに、わらび餅を手土産にあいさつに行ったんです。そうしたら『これ、おいしいからやってみたら?』と球団の方にアドバイスされたのがきっかけです。京都で修業を積んだ知り合いが作るわらび餅だったんですが、そこで僕も修行に行ってみようかと興味を持ったんです」 もともとわらび餅が大好きだったわけではない。スーパーで売っているものしか食べたことはなかった。それだけに「これが本物のわらび餅かあ……」と京都の名店の味に魅せられた・・・
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