「日本ワールド・シリーズ」として1950年にスタートした日本シリーズも、今年で70回目を迎えた。ここでは、その激闘の歴史を振り返る。 写真=BBM 
1958年第6戦は西鉄が2対0で勝って3勝3敗の五分に。貴重なカラー写真だ
1956年から3年間の日本シリーズは、たっぷりと寝かせた上質のワインのようでもあった。両軍の将・
水原茂(当時・円裕)と
三原脩の旧制中等学校時代から続く物語は、それこそ説明したら何冊もの本になってしまう。若い読者の方は、ひとまず、三原が
巨人の監督として49年に優勝に導きながら、シベリア抑留から帰国した水原に追われるように監督の座を去り、51年から遠く九州の球団・西鉄監督となったことはだけ、頭に入れてほしい。三原は西鉄の監督に就いた際、「いつか中原に覇を唱えん」と、日本シリーズでの打倒巨人を誓ったとも言われる。西鉄はすでに54年にはリーグ初優勝をつかんでいたが、このときの相手は
中日。だからこそ、初対決への注目がさらに高まったともいえる。迎えた56年の初対決、世間は「巌流島の戦い」と呼び・・・
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