旧校名・九州工高で過去2度の甲子園出場。99年に現校名(しんそうかん)となり、古豪再建のために名将が13年に就任。その「2期生」の四番・エースが軸となって今夏、23年ぶりの甲子園を狙う。 取材・文=前田泰子、写真=上野弘明 柳川高、自由ケ丘高で実績のある末次監督を慕って、真颯館高へ進んだ。同校名として初の甲子園出場へ燃えている
今夏、背番号1を着けてマウンドで躍動する姿を見たいと強く思うファンも多いだろう。
高木渉。エースで四番に座り、投打に高い能力を備えるその姿は、
日本ハム・
大谷翔平を思わせる。福岡の古豪と言われる、真颯館高の二刀流にプロのスカウトの熱い視線が集まっている。
昨夏は2年生ながら四番・投手としてチームを福岡大会ベスト4まで引っ張った。準決勝までの6試合中5試合で先発。1本塁打も記録した。準決勝で3年連続甲子園出場を果たした九州国際大付高に0対8で敗れたものの、最後に甲子園に出場した1994年以来、22年ぶりにベスト4へ進出。ノーシードだった真颯館高の進撃は、夏の福岡の話題となった。
「真颯館」というより「九州工」という校名にピンと来る人も多いかもしれない。1970年、94年と2度の甲子園出場を果たし、かつてはプロ野球選手も輩出した私学だ。99年に現校名となったが、野球部にかつての勢いはなくなった。部員も集まらず、初戦突破すら難しいほどに低迷。そこへ、野球部再建のために招かれたのが、末次秀樹監督だった。選手としては柳川商高で甲子園に出場。76年夏には、現在も残る8打席連続安打の大会記録を作り、監督としては柳川高、自由ケ丘高で甲子園に出場したベテラン指揮官だ。2013年の就任の際、部員はわずか7人。低迷していた野球部が、昨夏には県大会ベスト4入りの快進撃。高木は末次監督が就任した後の「2期生」となる。
故障でマウンドから離れ、ひたすら我慢の日々
中学時代は硬式クラブの「球道ベースボールクラブ」に所属。中学3年のときはリーグ戦全勝優勝した。エースの高木は当時、すでに最速は130キロ中盤。高木が選んだのは末次監督が就任したばかりの真颯館高だった。「末次監督は自由ケ丘を甲子園に導いた有名な監督だということは知っていました。この監督の下でやりたいと思ったんです」。高木に迷いはなかった。1年から背番号を与えられた。
「ここに来て、間違いはなかった・・・
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