ドラフト1位入団選手は1年に12人しかいない。だが、その肩書が成功を保証してくれるわけではない。入団6年目のシーズンを終えた竜の左腕もまた、自らの居場所をつかむために挑戦の日々を送っている。 文=吉見淳司、写真=BBM ドラ1の栄光と3年間の二軍生活
毎年、プロ野球ファンの一喜一憂を巻き起こすドラフト会議。2015年10月22日、育成を含めれば116名の選手がプロの世界に飛び込む権利を手にした。
その中で選ばれし12名だけに与えられるのが、「ドラフト1位」の称号。アマチュア球界の頂点に立つことを意味するこの栄誉を、今から6年前の09年、
岡田俊哉も自分のものとした。
「ドラフトの時期はプロに入るとは考えていなかったですね。志望届を出していたので指名されればいいなという期待感はありましたが、されないだろうなという気持ちもあったので」
曰く「普通に学校に行き、普通に練習していた」という日常は、
中日の外れ1位指名を受けたことで終わりを告げた。
名門・智弁和歌山高で1年春からベンチ入りし、その夏の甲子園で早くもマウンドを踏んだ。その後も2年春、夏、3年夏と計4度、聖地に出場し、実績を残してきた有望株。高校での輝きをそのままプロでも発揮してくれるはずと周囲の期待は大きかったが、自身は自らの力を冷静に把握していた。
「1年目から活躍できるとはまったく思っていませんでした。とんでもないところに飛び込んでしまったという感じでしたね。しっかり一から勉強し直して、何とか食らいついていけるようにしないといけないと思いました」
当時の中日は、
落合博満監督(現GM)がもたらした黄金時代の成熟期。10、11年に球団初の連続リーグ優勝を果たすほど、充実したメンバーがそろっていた。
09年ドラフトで1位指名を受けて笑顔を見せる。指名を喜びつつ、プロの厳しさも予測していた
山本昌や
岩瀬仁紀ら、当時からすでに“レジェンド”にふさわしかった存在に、「どの技術がすごい、というレベルですらなかったですね。偉大過ぎてそんなことも考えられませんでした」。
圧倒されながら、感動しながら、ひたすらにその背中を追い続ける日々。一軍のマウンドは遠く、1年目はファームで12試合に登板し、0勝0敗、防御率8.59。2年目は24試合で1勝1敗、防御率4.93。それでも、3年目は22試合で0勝3敗ながら、防御率1.86と成長を見せた。
「練習は厳しかったですし、試合で投げられない時期もありましたけど、自分にとっては何のマイナスもなかったと思っています。一軍で投げたい気持ちはもちろんありましたが・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン