
大洋時代の三原監督。「超二流選手」たちを駆使し、1960年に奇跡の優勝をつかんだ
優勝から最下位……。
信じられない連敗地獄に陥っていたのが、
栗山英樹監督率いる
日本ハムだ。4月27日の
ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)に5対4で勝利して連敗は10でストップ。まだまだ序盤戦、これから何が起こるか分からないとはいえ、23試合消化時点で5勝18敗は厳しい数字だ。
近年はパ・リーグで2012年Ⅴの日本ハムが13年最下位、13年Ⅴの
楽天が14年最下位と続いたが、歴史をひも解いても決して多いものではなく、2リーグ制後で見ると1960年Ⅴの大洋、78年Ⅴの
ヤクルト、80年Ⅴの近鉄になる。
特に70年代半ばまでは、チーム別の戦力格差(補強資金格差)が大きく、セならヤクルト、大洋、
広島、パなら近鉄など、いわゆる“負け役”がはっきりしていたこともある。65年秋のドラフト制度導入後、ジワジワと戦力差が詰まっていったが、それでも滅多に起こらなかったレアケースである。
そして、この崖下に真っ逆さまに転落するような経験をした指揮官には共通点がある。
すべて名将ということだ。
60年大洋が
三原脩、78年ヤクルトが
広岡達朗、80年近鉄が
西本幸雄、12年日本ハムが栗山英樹、13年楽天が
星野仙一。いずれも複数の優勝経験を持つ監督だ。これは当然と言えば当然で、まず、要は優勝することが、このパターンの半分。プロ野球の世界では勝つことが名将の条件である。加えて、翌年最下位ということは、もともと戦力的に不安定だったということでもある。監督の采配力と勢いで優勝をつかんでも、主力の移籍や故障離脱で簡単に白が黒にひっくり返った、ということだろう。
それが顕著だったのが60年の大洋である。栗山監督も尊敬する三原監督が“三原魔術”とも言われた奇策を繰り出し、前年の最下位から優勝を飾り、さらに日本シリーズでも大毎(現
ロッテ)相手にすべて1点差で4連勝を飾った。だが、翌年は歯車がすべて空回りし転落。その後Ⅴ争いには加わっても一度も優勝には届いていない。「俺がいたから優勝できた」とミーティングで語ったことで、選手との亀裂が生まれたことも一因と言われている。
過去の例を見ても、指揮官のマジックだけでは長い黄金時代は築けない。奇策や意識改革の効果は短期間しか続かないからだ。
ただ、栗山監督は大谷の二刀流など、一見マジシャンタイプにも映るが、実は、セオリーにとらわれず、その選手のポテンシャルを最高の形で発揮させたい、という“超正統派”思考が根底にある。しかも、1度、“真っ逆さま”を経験。このままで終わるはずもない。
写真=BBM