
マウンドでボロボロと泣いた上原
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月5日だ。
1999年10月5日、15連勝もあった
巨人のスーパールーキー、
上原浩治が、20勝目をかけて神宮球場の
ヤクルト戦のマウンドに上がった。
結果的には2失点完投で90年の
斎藤雅樹(巨人)以来となる20勝を達成したのだが、この試合中、上原がボロボロと涙を流したシーンがある。決して、うれし涙ではない。
このときヤクルトの
ペタジーニが42本、巨人の
松井秀喜が41本でホームラン王争いをしていた。6回表の巨人の攻撃で、松井が初回に続き、2つめの四球で歩かされたのがきっかけだった。
7回裏、ペタジーニが打席に入るとベンチから敬遠の指示。1、2打席と凡退に打ち取っていた上原だが、このときは相手が露骨に勝負を避けている以上仕方がない、と切り替えたようだ。捕手の
村田善則は立ち上がりはしなかったが、大きく外角に外して構え、四球……。
突然、上原に異変が起こった。マウンドを蹴り上げ、涙をぬぐった。当時はタイトル争いに絡み、露骨に勝負を避けるシーンが、この時期のプロ野球の風物詩のようなものだった。2014年に小社で刊行した『ジャイアンツ80年史PART.2』に本人に寄稿してもらった中に、このときの話がある。一部抜粋しよう。
「敬遠をした後にマウンドを蹴ってしまったことは、いまでも後悔している。自分の仕事場に対して、あんな行為をすることは決してよくないよね。その一方で、あの日だけはスポーツニュースなどで、タイトルは何か、みたいな論議をしてくれていたのはありがたかった。これから醜いタイトル争いはなくなるのだろうと、思った」
写真=BBM