
試合後、ファンに手を振る荒木
通算39勝49敗2S。言い方は悪いが、この程度の選手はいくらでもいる。しかし、この男の引退に多くの人が寂しさを感じ、また、その健闘を心から祝した。
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月9日だ。
1996年10月9日、早実のエースとして一世を風靡した
荒木大輔が引退試合を行った。
高校時代、80年の1年夏から5季連続甲子園出場。甘いマスクもあって“ダイスケフィーバー”を巻き起こした。現
ソフトバンク・
松坂大輔をはじめ、当時誕生した男の子たちに「大輔」という名前が多かったことからも、そのインパクトの大きさが分かるだろう。
83年ドラフト1位で
ヤクルト入団。
巨人も競合し、その外れ1位が90年代最強のエース、
斎藤雅樹だった。
荒木はリトルリーグからのトップ選手。快速球や魔球があるわけではなく、総合力で勝負するタイプで、残念ながらプロで突き抜ける力はなかった。当初はなかなか結果を出せず、同じく早実出身で、現在
日本ハムの
斎藤佑樹ではないが、人気優先の選手と言われ、悔しい思いもした時期もある。
それでも荒木はくさることなく、自分のスタイルを磨いた。多少打たれても試合をきっちり作る安定感が評価され、次第に先発ローテに定着。87年には10勝と先発ローテの一角を担った。
ただ、翌88年途中から地獄を見る。
右ヒジを痛める。治ったと思ったら再発し、手術を繰り返し、椎間板ヘルニアに苦しめられた時期もある。一軍登板もなく、「あの人はいま」状態となった。89年からの斎藤の大ブレークもあって、ドラフトの失敗例に挙げられることもあった。
このときも荒木はくさらなかった。この長い苦しみを乗り越え、92年終盤に復帰すると、同年2勝、そして翌93年8勝で連覇に貢献した。93年の日本シリーズでは第1戦に先発し、
西武相手に強気の内角攻めを見せ、敵将・
森祇晶が「あの気迫は素晴らしい」と称賛。「早実・荒木大輔」ではなく、「プロ・荒木大輔」としてようやく輝いた時期と言えるかもしれない。
96年、横浜に移籍したが、シーズン5試合目、10月9日が引退試合となった。古巣・神宮でのヤクルト戦。先発した荒木と、ヤクルト時代にバッテリーを組んだ五番打者の
古田敦也との対決は、2回裏に実現する。2ストライク1ボールからの4球目、荒木は139キロのストレートを投じ、古田は空振り三振。この1球で、14年間のプロ生活にピリオドを打った。
高校時代、プロ入り後、ずっとマスコミの前では、あまり笑わず、冗談も言わない印象があったが、この日は違った。
「高校時代から(東京大会で)ここでやってきましたから。最後の神宮、何か縁を感じますね。ライトスタンドのヤクルトファンの方たちにもあいさつしたかったんですが、このユニフォームですからね」
最後は、「もう練習しなくていいんですね。これからはダイエットしますよ」。そう言って、朗らかに笑った。
写真=BBM