
アジア選手権で指揮を執る長嶋監督
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月2日だ。
2002年12月2日、日本代表編成委員会が開かれ、04年アテネ五輪に向け、次期監督に前
巨人監督で同委員会強化本部長でもあった
長嶋茂雄氏(当時66歳)の就任が決まった。
「プロひと筋で野球人生を送ってきましたし、今回の場合はオリンピックという大きな国際舞台で日本国を代表するという、つまりユニフォームに日の丸をつける、これ自体が野球人としてもかつてない興奮と、使命の重さを痛切に感じております。是が非でもオリンピックの聖地と言われるアテネで日の丸を見たい」
力強く抱負を語った長嶋新監督。もともとスポーツ大好き、オリンピック大好きな人で、1981~92年の“浪人時代”には野球以外の国際大会にも積極的に足を運んだ。91年世界陸上では当時の短距離界の王様カール・ルイス(アメリカ)に対し、「ヘイ、カール!」の呼び掛けが話題になったこともある。
周囲は「やっぱり長嶋さんは元気だな」という雰囲気だったが、年齢面もあって実は簡単な選択ではなかったと思う。
松井秀喜のメジャー移籍表明直後である。日本球界の地盤沈下を憂いての決断だったのかもしれない。
さらにミスタープロ野球の出馬は、今まで条件付きばかりだったプロ選手派遣を拡大し、“ドリームチーム”結成に踏み出したということでもある。実際、完ぺきな最強チームとは言えないまでも“オールプロ”で挑み、03年アジア選手権では優勝し、五輪出場権をつかんでいる。
しかし、04年3月、長嶋氏は脳梗塞で倒れ、アテネ五輪はヘッドコーチだった
中畑清が指揮を執ることになった。
写真=BBM