背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 最初と最後を「36」で
1990年代、
野村克也監督のヤクルトが“ID野球”で黄金時代に突入。データ重視の緻密な野球には暗い印象がつきまといがちで、バブル崩壊によって世相も暗く沈みつつあったが、このころのヤクルトは元気だった。
主砲は、三振かホームランか、というフルスイングで沸かせた“ブンブン丸”池山隆寛。その豪快さが、明るさを呼び込む一助となったと言えるだろう。84年の入団時、空いていた背番号の中から「おいちょかぶでサブロクの9がいい」という父の助言(?)で「36」に。11年ぶりのAクラス3位で終えた91年オフの契約更改で「年俸が現状維持なら背番号1を」と要求すると、翌92年に年俸は据え置きのまま“ミスター・スワローズ”の「1」となる。
2000年に「36」へ戻して、02年限りで現役を引退した。ちなみに、同様にフルスイングが持ち味だった
小笠原道大も
中日で「36」としてキャリアを終えている。
【12球団主な歴代背番号「36」】
巨人 国松彰、
柳田俊郎(真宏)、
中井康之、
長嶋一茂、
桜井俊貴☆
阪神 小林吉雄、
渡辺長助、
山脇光治、
田村勤、
浜地真澄☆
中日
本多逸郎、
千原陽三郎、
平井正史、
谷哲也、
石岡諒太☆
オリックス 梶本靖郎、
新井良夫、
山森雅文(眞幸)、
下山真二、
山足達也☆(2018〜)
ソフトバンク 戸川一郎、
池之上格、
山川周一、
明石健志、
牧原大成☆
日本ハム 石原碩夫、落合勘一、
藤島誠剛、
MICHEAL、
中村勝☆
ロッテ 栗木孝幸、
大坂雅彦、
三井雅晴、
サブロー、
有吉優樹☆
DeNA 佐藤守生、
竹村一義、
小山昭吉(昭晴)、
進藤達哉、
狩野行寿☆
西武 八浪知行、
植田征作、
安部理、デニー、
伊藤翔☆(2018〜)
広島 丸岡栄、
渡辺秀武、
今井譲二、
佐竹健太、
塹江敦哉☆
ヤクルト
大脇照夫、
渡辺進、池山隆寛、
川端慎吾、
廣岡大志☆
楽天 朝井秀樹、
榎本葵、
内田靖人☆
(☆は現役)
好守の名バイプレーヤー

阪急・山森雅文
そのフルスイングからは想像しにくいが、池山は内野守備の名手でもある。ほぼ同時期、同様に「36」から「1」となり、やはり遊撃から三塁へと定位置を変えたのが横浜の進藤達哉。華麗さよりも堅実さを優先した球界屈指の守備職人だった。外野守備を評価されて日本人で初めて米国の野球殿堂入りを果たしたのが阪急の山森雅文(眞幸)だ。
中日の初代は俊足の一番打者として初の日本一に貢献した本多逸郎だが、入団時は投手で、21世紀になって平井正史、
友利結(デニー)ら好投手がリレー。のちに平井は復帰したオリックスで、デニーは西武時代の背番号を中日で、ともに再び「36」を背負って現役を引退している。
また、巨人では技巧派左腕の
高橋尚成が「36」で頭角を現し、日本ハムでも着けていたMICHEAL(M.中村)を経て現在はドラフト1位で16年に入団した桜井俊貴の背にあるが、もともとは打の名ワキ役がリレーしてきたナンバーだ。
投手へバトンを渡したのは長嶋一茂。やや余談めくが、同時期に父の
長嶋茂雄監督は「33」を着けていて、同様に同じチームの「33」と血縁があったのが阪急の梶本靖郎だ。「33」で一時代を築いた
梶本隆夫の弟で、兄との継投でプロ5年目に初勝利を挙げた。
さらに余談めくが、名前との縁で入団から2年だけ「36」だったのがロッテのサブロー。のちの中心打者が、まだ外野守備だけの選手だった若手時代だ。
写真=BBM