背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 昭和の渋い捕手ナンバー
「39」を着ける選手が増えたのは2リーグ制となってからだが、そう間を置かず、名捕手が輩出された。阪神では
山本哲也が「39」で正捕手に成長。大洋では
土井淳が1年目から一軍に定着し、2年目に「39」を背負って司令塔となった。
その後、“大魔神”
佐々木主浩が全幅の信頼を置いた
秋元宏作ら個性的な捕手が並び、系譜にこだわりが少ない
DeNAでは異色のナンバーとなっている。
「39」から巣立っていった名捕手も散見される。阪急の黄金期を支えた
岡村浩二は1年目だけ着け、のちに“江夏の21球”を受けることになる
広島の
水沼四郎もプロ入りから5年間は「39」だった。また、
若菜嘉晴も阪神までの2チームで「39」を背負い、3チーム目の大洋で背番号を若くしている。
【12球団主な歴代背番号「39」】
巨人 大友工、
淡河弘、
吉原孝介、
マイコラス、
ヤングマン☆(2018〜)
阪神
亀田敏夫、山本哲也、
吉田康夫、矢野輝弘(燿大)、
長坂拳弥☆
中日 西田暢、
青山久人、
中村武志、
清水将海、
武山真吾☆(2018〜)
オリックス 山本勘介、
中沢伸二、
三輪隆、
鴨志田貴司、
小林慶祐☆
ソフトバンク 田沢芳夫、
梅村好彦、
黒田正宏、
藤本博史、
トラックスラー 日本ハム 三沢今朝治、
ソレイタ、
嶋田信敏、
島田一輝、
高梨裕稔☆
ロッテ 和田功、
里見進、
長松純明、福澤(福沢)洋一、
田中雅彦 DeNA 土井淳、
高浦美佐緒(己佐緒)、秋元宏作、中村武志、
嶺井博希☆
西武 島原幸雄、若菜嘉晴、
デストラーデ、
貝塚政秀、
呉念庭☆
広島 水沼四郎、
望月卓也、
佐藤裕幸、
梅津智弘、
飯田哲矢☆
ヤクルト 鵜飼勝美(勝助)、
井上洋一、
渋井敬一、
梶本勇介、
宮本丈☆(2018〜)
楽天 中村武志、
井野卓、
下妻貴寛☆
(☆は現役)
星野監督の愛弟子たち

中日・中村武志
21年間、一貫して「39」で3チームを渡り歩いたのが中村武志。中日で
星野仙一監督に“もっとも殴られた男”だが、その“期待”に応えて2度のリーグ優勝に貢献した。阪神で星野監督の優勝を支えた捕手も「39」の矢野輝弘(燿大)。中日で中村の定位置を奪えず、阪神へ移籍して初めて正捕手に。やがて星野監督と“再会”して優勝の美酒を味わった。
古くは投手の出世番号だったこともあった。巨人の初代は大友工、西鉄では島原幸雄で、ともに着けた期間は短かったが、黄金期を支える好投手に成長。その後も投手は少なくなく、近年は投手勢が復権しつつある印象だ。
こうした傾向に劇的な変化が訪れたのが1980年代だ。80年、日本ハムで“サモアの怪人”ソレイタがシーズン2度の4打数連続本塁打などで衝撃を与え、89年シーズン途中には同じパ・リーグでデストラーデが西武に加入。
秋山幸二、
清原和博と“AKD砲”を形成、左右両打席から本塁打を量産する五番打者は、西武の黄金期を盤石のものにした。
ただ、その後がいけない。ダイエーで94年に開幕戦満塁弾を放ったトラックスラーから翌95年に「39」を継承したミッチェルも、同様に開幕戦満塁弾で鮮烈デビュー。だが、2度の無断帰国で8月には早くも解雇に。97年には阪神の
グリーンウェルが出場わずか7試合目に右足へ自打球を当てて「野球をやめろ、という神のお告げ」という捨てゼリフを残して引退。球史に悪名を残す“お騒がせ外国人”が現れては消えていき、強打の助っ人というイメージに泥を塗りまくった。
写真=BBM