長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。 引退を覚悟してから……
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復活して首位打者にも輝いた谷沢
大学時代からアキレス腱痛に苦しんでいた
中日の
谷沢健一。1978年の途中、それが悪化し、まったく走れなくなった。あちこちの病院に行き、いろいろな治療をしたが、すべて効果はない。79年の春季キャンプも参加はしたが、あまりの痛みに1週間で名古屋に戻った。このとき谷沢は「90パーセントは引退を覚悟していた」という。
それが3月下旬、中日ファンから日本酒を塗りながらマッサージ治療をする老人を紹介してもらった。最初はまったく期待していなかったが、みるみる回復していき、シーズン終盤になってだが、一軍復帰も果たした。実は、この老人、小山田秀雄氏がとんでもなくすごい人だったのだ。
戦時中、日本軍のスパイとして国籍を消し、中国戦線で諜報活動をしていた。そのとき軍医から自分の体を自分で治す方法として教えてもらったのが、日本酒治療だったらしい。
最後に末期の酒を頼み、それで体の傷を治し、脱走する力を得ようとするものだ。体も傷だらけ。銃で撃たれ股関節から尻に弾が貫通したときは、そこを焼けた火箸で貫き、消毒した。
谷沢は80年には完全復帰し、自分でも日本酒治療を続けながら、打率.369で首位打者になっている。
谷沢健一(やざわ・けんいち)
1947年9月22日生まれ。千葉県出身。習志野高から早大を経てドラフト1位で70年中日入団、1年目は新人王に。その後も中軸を担って76年には2位と6糸差の打率.35484で初の首位打者に。78年から2年間はアキレス腱痛で出場機会が減るが、80年に完全復活を遂げて打率.369で2度目の首位打者とカムバック賞。86年限りで現役引退。主なタイトルは新人王、首位打者2回。通算成績1931試合、2062安打、273本塁打、969打点、42盗塁、打率.302。
写真=BBM