
2イニングを投げ、7人から5三振を奪う好投を見せた
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は4月15日だ。
近年ドラフト会議で指名を受けると、アナウンサーは、もはや断るはずがないとばかり「おめでとうございます」からインタビューを始まることも多い。
しかし、かつてのドラフトはそんな予定調和の世界ではない。事件の宝庫だった。1位選手の入団拒否も珍しくなく、1990年秋には8球団が1位競合した亜大・
小池秀郎が交渉権を勝ち取った
ロッテを蹴ったこともある。
1993年4月15日は、その後、松下電器に進み、あらためて近鉄に1位指名されて入団した小池が因縁(?)のロッテと敵地・千葉マリンで初対決した日だ。4番手として小池が登場すると球場はすさまじいまでのヤジ、さらに「くたばれ!! 小池 贈
金田正一(ドラフト当時のロッテ監督だが、もちろん、そんなの贈るはずがない)」の大旗が振られ、異様な雰囲気となった。
確かにロッテファンにとっては、失礼千万な男ではあっただろうが、当時のロッテの交渉姿勢にも問題がなかったわけではないし、
江川卓のように「空白の1日」を使ったわけでもない。その後、社会人に進み、92年秋のドラフトでは「どの球団でも」と明言。すべてはルールどおりにやっている。小池にも秘める思いもあったと思うが、試合後、この件についてのコメントはなかった。
ドラフトについては、いろいろな意見があるだろうが、特に90年代までは、入った球団によって給料が平気で倍に(半分に)なった。加えていうなら、どうしてもほしい球団と、ひとまず取っておこうという球団もある。
ドラフトの年代記は何度も出しているが、拒否選手を責める前に獲得球団の姿勢を問いたいと思ったことは何度もある。
ルーキーは宝くじの1枚ではない。
写真=BBM