プロ野球史を彩ってきた数多くの名選手たち。生まれた世代ごとに週刊ベースボールONLIN編集部がベストナインを選定して、“史上最強世代”を追いかけてみる。 横浜と中日と名球会と
1970年生まれの世代はセ・リーグ勢が圧倒的だ。指名打者を除くベストナインには主にセ・リーグで活躍した名選手がズラリ。特に横浜、
中日に所属した選手が目立ち、通算2000安打に到達して名球会入りを果たした打者も3人いる。
この3つの“属性”すべてを兼ね備えているのが司令塔の谷繁元信。その意味で、この世代は“谷繁世代”と言える。打撃タイトルはないが、通算3021試合はプロ野球記録。長く第一線でプレーしたことが分かる偉大なレコードだ。
【1970年生まれのベストナイン】(1970年4月2日〜71年4月1日生まれ)
投手
今中慎二(中日)
捕手 谷繁元信(中日ほか)
一塁手
江藤智(
広島ほか)
二塁手
酒井忠晴(中日ほか)
三塁手
石井琢朗(横浜ほか)
遊撃手
宮本慎也(
ヤクルト)
外野手
佐伯貴弘(横浜ほか)
真中満(ヤクルト)
波留敏夫(横浜ほか)
指名打者
垣内哲也(
西武ほか)
“マシンガン打線”のリードオフマンで、世代トップの通算2432安打を放ったのが三塁にいる石井琢朗。その石井と一、二番コンビを組み、バントをしない攻撃的な二番打者として“マシンガン打線”の象徴的存在となったのが外野の波留敏夫だ。日本一イヤーの98年よりも、低迷期の2005年に四番打者として全試合に出場したのが同じく外野の佐伯貴弘で、現役最晩年は中日で過ごしている。
谷繁とバッテリーを組むのは今中慎二。中日に在籍した期間が違うため実際にバッテリーを組んでいないが、ここは“ドリームチーム”、優勝から遠ざかっていた時期を支え続けた左腕と、黄金時代を導いた正捕手との夢のバッテリーを形成してみたい。
クローザーの
ギャラード(中日ほか)や左腕の
前田幸長(中日ほか)も同世代で、ギャラードは谷繁ともバッテリーを組んでいるが、その谷繁のいた横浜へ移籍。前田は谷繁がFAで移籍加入した02年から
巨人でプレーしている。
2人の名手がヤクルトひと筋
ヤクルト・宮本慎也
中日で
落合博満監督の1試合目となる開幕投手を務めた
川崎憲次郎(ヤクルトほか)も同世代だ。ヤクルト時代の98年に最多勝となった右腕だが、この世代はヤクルト勢も目立つ。人数は横浜と中日に及ばないが、内野、外野にヤクルトひと筋でチームの中心となった名選手がいて、インパクトでは両チームに負けていない。
遊撃にいるのがゴールデン・グラブ10度の名手で、歴代3位の通算408犠打をマークしながら通算2133安打を放った宮本慎也。大学、社会人を経ての2000安打は史上2人目で、強いリーダーシップでチームを引っ張った職人だ。宮本の引退から2年後の15年に監督となってリーグ優勝に導いたのが外野の真中満。07年に代打記録のシーズン31安打もあった左の好打者だ。
ただ、主砲は広島と巨人で中軸を担った一塁の“アーチスト”江藤智だろう。通算364本塁打は世代トップだ。パ・リーグからは指名打者に強打を誇る外野手の垣内哲也。二塁にいる酒井忠晴は、在籍期間は中日のほうが長いが、
ロッテのイメージも強い。
投手陣では、
豊田清(西武ほか)もセ・リーグの巨人でも活躍したリリーバー。同じクローザーでは史上初となる3年連続で最優秀救援投手となった
赤堀元之(近鉄)もいて、貴重なパ・リーグひと筋だ。捕手の
的山哲也(近鉄ほか)も同世代。勝ちゲームの終盤になってきたところで、パ・リーグ勢が存在感を放ってくることになるかもしれない。
写真=BBM