今年は10月25日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で54年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。 名球会入り選手も4人

野茂と指名あいさつに来た仰木監督(右)
1989年11月26日
第25回ドラフト会議(赤坂プリンスホテル)
[1位選手(×は入団せず)]
ロッテ 小宮山悟 (早大)
大洋
佐々木主浩(東北福祉大)
日本ハム 酒井光次郎(近大)
阪神 葛西稔 (法大)
ダイエー
元木大介 (上宮高)×
ヤクルト 西村龍次 (ヤマハ)
西武 潮崎哲也 (松下電器)
中日 与田剛 (NTT東京)
オリックス 佐藤和弘 (熊谷組)
広島 佐々岡真司(NTT中国)
近鉄
野茂英雄 (新日鉄堺)
巨人 大森剛 (慶大)
会場は、この1年だけ赤坂プリンスホテルとなった。
田淵幸一、
山本浩二、
星野仙一らが入団し、「黄金ドラフト」と言われた1968年に匹敵する大豊作年として語り継がれる。
最大の注目は、大型右腕・野茂英雄。新しく導入された大型テレビ画面のディスプレーに、次から次へとその名前が映し出される。ロッテ、大洋、日本ハム、阪神、ダイエー、ヤクルト、オリックス、近鉄。ドラフト史上最多の8球団が1位指名した。
近鉄の
仰木彬監督は、最後に残った1枚を手にし、それが「当たり」だった。以後の野茂の活躍は説明するまでもないと思うが、トルネード投法と呼ばれた独特のフォームを矯正されず、独自の調整法が認められたのは、放任主義の仰木監督だったからこそ、とも言える。
もう1つの注目は甲子園のスター、強打の内野手・元木大介だった。「巨人以外ならプロへ行かない」と明言していたが、巨人は慶大のスラッガー・大森剛の指名で固まっており、大森にも1位指名へのこだわりがあったという。結果、巨人は大森を1位指名、元木は野茂を外したダイエーが指名したが、入団を拒否し、浪人の道を選んだ。ほか西武がシンカーを駆使したリリーバー・潮崎哲也、中日は150キロ台後半の快速球右腕・与田剛、広島が100勝100セーブを達成した佐々岡真司を指名している。
さらに野茂の外れ1位組も、ロッテが頭脳派右腕・小宮山悟、大洋が大魔神・佐々木主浩、日本ハムが1年目から10勝の酒井光次郎、阪神が鉄腕・葛西稔、ヤクルトがエース格となる西村龍次、オリックスがパンチこと佐藤和弘と、そうそうたる顔ぶれだ。
この年は1位だけではない。日本ハム2位がガンちゃんこと、
岩本勉(阪南大高)、ヤクルトの2位が監督にもなる名捕手・
古田敦也(トヨタ自動車)、中日2位が投手から野手に転向して成功したピンキーこと、
井上一樹(鹿児島商高)。3位にもダイエー・
橋本武広(プリンスホテル)、西武・
大塚孝二(東北福祉大)、近鉄には大砲・
石井浩郎(プリンスホテル)、巨人・
吉岡雄二(帝京高)らの名前がある。
下位にも好選手がゴロゴロいるのだが、この2人の名前を外すことができない。広島の4位にサムライ・
前田智徳(熊本工高)、そして阪神5位に世界の
新庄剛志(西日本短大付高)だ。
この年のドラフト指名組から名球会入りしたのが、野茂、佐々木、古田、前田、メジャー・リーガーになったのは、野茂、佐々木、小宮山、新庄の同じく4人。さらに言えば、ドラフト外で巨人入りした
柏田貴史(八代工高)もメジャー経験がある。加えれば、なんと5人が海を渡ったことになる。
<次回に続く>
写真=BBM