背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 “ジョニー”へ受け継がれたロッテの魂
多くの名選手が出世番号としている「54」の系譜で、唯一無二の存在といえるのがロッテの“ジョニー”黒木知宏。当初は「11」を希望し、「170キロのストレートが目標」と豪語していたが、ドラフト1位でロッテへ入団しながら一軍では2試合の登板にとどまって打撃投手に転じた
石田雅彦から「俺が『54』を温めておいたよ。だからジョニーはきっと活躍できる」と言われて「54」を受け継いだことで、「54」にこだわり、引退まで背負い続けた。
1998年、ロッテは悪夢の18連敗。17敗目を喫した七夕の夜、勝利を目前にした9回裏に同点弾を浴びてマウンドに崩れた黒木の背にも「54」はあった。この18連敗を契機に、川崎時代から不人気チームだったロッテに、じわじわと熱狂的なファンが増え始める。千葉へ移転して7年目。“千葉ロッテ”始まりの時だった。石田の言葉も現実のものとなり、黒木は13勝で最多勝に輝いている。
もともとロッテの「54」は、戦前から活躍する
本堂保弥が現役最晩年に着けて、その後は
木塚忠助、
近藤貞雄、
坪内道則といった球界のレジェンドたちが指導者としてリレー、遊撃手の
佐藤健一も巣立ったナンバーだ。
【12球団・主な歴代「54」】
巨人 倉田誠、
槙原寛己、
藤村大介、
高木勇人、
直江大輔☆(2019年〜)
阪神 伊藤光四郎、
山田伝(コーチ)、
平塚克洋、J.ウィリアムス、
メッセンジャー☆
中日 一枝修平、
三好真一、
小松崎善久、
松井達徳、
藤嶋健人☆
オリックス 切通猛、
斉藤秀光、島村一輝(一輝)、
伊藤光、
黒木優太☆
ソフトバンク 中島博征、
高木孝治、
井出竜也、ホールトン、
デスパイネ☆
日本ハム 嶋田信敏、
城石憲之、
野口寿浩、
近藤健介、
玉井大翔☆
ロッテ 本堂保弥、佐藤健一、石田雅彦、黒木知宏、
レアード☆(2019年〜)
DeNA 山田忠男、
大門和彦、
竹下慎太郎、
小杉陽太、
寺田光輝☆
西武 玉造陽二、
清家政和、
グラマン、R.ウィリアムス、
ニール☆(2019年〜)
広島 藤井弘(コーチ)、
中尾明生、
河野昌人、
苫米地鉄人、
船越涼太☆
ヤクルト 岡嶋博治、
小倉恒、
斉藤宜之、
水田圭介、
中澤雅人☆
楽天 ホッジス、
木谷寿巳、
加藤大輔、
横山貴明、ペゲーロ
(☆は2019年)
近年は助っ人が勢力を拡大中

阪神・ウィリアムス
同様に「54」を出世番号とした好打者は古くからいて、西鉄では初代の
滝内弥瑞生に玉造陽二が続く。ともに黄金時代を支えた名バイプレーヤーで、セ・リーグにも阪神に伊藤光四郎、中日には一枝修平がいた。近年では日本ハムの近藤健一が筆頭格だろう。日本ハムではリリーバーの
武田久が1年目だけ着けていて、投打ともに出世番号と言える。
投手では「54」で新人王に輝いた巨人の槙原寛己が強烈な印象を残す。着けたのは5年だけで、“最後の完全試合”も「17」となってからだが、阪神戦の“バックスクリーン3連発”は「54」時代。のちにスライダーを駆使して息の長い活躍を続けるが、まだ155キロを超える快速球がメーンだった頃だ。
阪神では21世紀に入って助っ人の好投手がリレー。強力リリーフ陣“JFK”の一角を担ったウィリアムスから、先発の柱となっているメッセンジャーが継承している。西武も同様に“助っ投”の系譜だ。2011年に最多勝となったホールトンがいたソフトバンクではデスパイネが継承して17年に打撃2冠。ともにチームの日本一に貢献した助っ人だ。
写真=BBM