背番号は、ある選手が引退しても、またある選手に受け継がれていく。2019年も新たな後継者が誕生した。その歴史を週刊ベースボールONLINEで振り返っていく。 「58」と「26」を着けた好投手
2018年は故障に苦しんだが、「58」の筆頭格といえるのはソフトバンクのサファテだろう。14年にソフトバンクへ移籍してから4年連続60試合以上に投げまくり、17年には54セーブをマークしてプロ野球記録を更新。地味な印象があり、またブレークした多くの選手が巣立っていった「58」を助っ人クローザーのトレードマークへと昇華させた。
サファテが「58」と出会ったのは11年の
広島で、1年目からクローザーとなって35セーブ。のちに1年だけ在籍した
西武では「26」を着けている。
プロで初めて着けた背番号が「58」で、長く「26」で活躍したのが
巨人の
西本聖。1975年にドラフト外で入団し、一軍にたどり着いた2年目まで着けていたのが「58」だった。のちにライバル視した
江川卓は入団前で、ドラフト1位で指名された同期入団でアイドル的な人気を誇った
定岡正二の存在がエネルギー源だったころだ。
【12球団・主な歴代「58」】
巨人
大竹憲治、西本聖、
斉藤宜之、
星孝典、
立岡宗一郎 阪神 中村典夫、
吉川弘幸、
右田雅彦、
矢野正之、
荒木郁也☆
中日 広瀬明彦、
八木智哉、
大西崇之、
谷哲也、
石橋康太☆(2019年〜)
オリックス 安藤英志、村上宏道、
石田真、
山中賢次、
金田和之☆
ソフトバンク
鐘井裕治、
頓田国満、
辻武史、
中西健太、サファテ☆
日本ハム 佐野嘉幸、
佐藤文彦、
稲葉篤紀、
高口隆行、
横尾俊建☆
ロッテ 土居章助、
佐々木信行、
青柳進、
岸川登俊、
高野圭佑☆
DeNA 渡辺政好、
高垣義広、
宮内洋、亜斗里(大田亜斗里)、
武藤祐太☆
西武
平塚宝、
山中重信、
宮地克彦、
松坂健太、
熊代聖人☆
広島
城野勝博、
小島紳二郎(小島心二郎)、サファテ、
ジャクソン、レグナルト☆(2019年〜)
ヤクルト 羅本新二、
飯田哲也、
ホッジス、
阿部健太、
屋宜照悟☆
楽天 長坂健冶、木村考壱朗、
辛島航☆
(☆は2019年)
絶対的クローザーに一矢報いた伏兵も

中日・大西崇之
広島でサファテの後継者となったのは同じく助っ人リリーバーのジャクソン。巨人で西本の「58」を受け継いだのはサファテのいるソフトバンクから12年シーズン途中に移籍してきた立岡宗一郎で、古巣では出場機会に恵まれず、新天地で台頭した外野手だ。
だが、18年オフにジャクソンは退団、立岡は「39」へと背番号を若くした。迎えた19年、巨人では空席だが、広島では新外国人で左腕のレグナルトが継承。サファテが築き、ジャクソンがつないだ“助っ投”ナンバーを、さらに輝かせることができるか。
「58」を出世番号とした打者の筆頭格はヤクルトの飯田哲也だろう。「58」の捕手だったが、
野村克也監督に二塁へ回されてレギュラーに定着、その後は俊足強肩の中堅手として活躍して、のちに野村監督の率いる楽天で引退した。
野村監督時代のヤクルトでブレークして、日本ハムへ移籍した1年目だけ「58」を着けたのが、現在は侍ジャパンの監督として腕を振るう稲葉篤紀だ。日本ハムの系譜をさかのぼると、東映時代の「58」で、南海へ移籍して野村兼任監督の初優勝に遊撃手として貢献した佐野嘉幸もいる。
一方、中日で「58」を長く背負った大西崇之は98年、やはり絶対的なクローザーとして君臨していた横浜の
佐々木主浩にシーズン唯一の本塁打を浴びせた外野手だ。
写真=BBM