1978年10月12日、産声を上げた西武ライオンズ。福岡から埼玉へと本拠地も移転し、黄金時代も築いた。今季、連覇を飾り、西武としては17度目のリーグ優勝となったが、その栄光の軌跡を追っていこう。 当初は“寄せ集め”軍団

1979年1月、建設中の西武球場に根本監督以下、ナインが集結。すべてはここから始まった
福岡で黄金時代を築いた西鉄ライオンズだったが、選手が敗退行為にかかわった“黒い霧事件”もあって成績、人気が低迷。西鉄は球団を手放して1973年太平洋クラブ、77年クラウンライターと球団名を変えた。だが78年、クラウンライターはギブアップ。10月12日、経営権を西武グループに譲渡すると、フランチャイズも福岡から埼玉へ移転。西武ライオンズとして新スタートを切ることになった。クラウン時代からの
根本陸夫監督の留任を決め、アニメ『ジャングル大帝』の主人公「レオ」をデザイン化したペットマークをはじめ、シンボルカラー、新ユニフォーム、球団イメージを決めた。
さわやかな青をベースにした西武球場を本拠地にした新球団は、豊富な資金をつぎ込み、チーム改革を進めた。ドラフト1位で
森繁和、
巨人と争奪戦の末、ドラフト外で博久、雅之の松沼兄弟、トレードでは
阪神の
田淵幸一、
ロッテの
山崎裕之らビッグネームを獲得。しかし、“寄せ集め”の感は否めなかった。79年の初年度は開幕から2分けを含む12連敗。前期6位、後期5位でシーズン最下位となる(当時は前後期制)。80年は前期こそ最下位だったが、後期は途中加入したスティーブの活躍で打線が強化され、最終的に4位に終わったが一時は優勝も見えた。
81年はドラフト1位の
石毛宏典が新人王の活躍。2年連続4位に終わったが、前期2位、後期4位だった。シーズン終了後、根本監督がフロント入りし、
廣岡達朗監督が就任。私生活まで厳しく指示を出す「管理野球」でチーム内のぬるま湯体質を一掃。選手から激しい反発がありながら、勝つことでチームは結束していく。前期に優勝を果たし、後期は3位に終わったが、プレーオフで
日本ハムを倒し、西武としては初、ライオンズとしては19年ぶりのリーグ制覇。日本シリーズでも
中日を破り、日本一に輝いた。
前後期制が廃止された83年、前年の優勝で自信をつけたチームは他の5球団を寄せ付けず圧勝。8月19日には全球団勝ち越しを決定し、11試合を残して10月10日に連覇を決めた。日本シリーズでは巨人に2勝3敗と追い込まれながら、逆転で2年連続日本一となった。
84年は3位に終わったが、85年に再び頂点へ。しかし、廣岡監督は退任。
森祇晶が新監督となった。オフのドラフトでは6球団競合の末、PL学園高の
清原和博を獲得。86年、清原はルーキータイ記録の31本塁打を放ち新人王。チームも優勝を飾り、
広島相手の日本シリーズでは3敗1分からの4連勝で日本一を奪回した。
90年に最強オーダー完成

1990年、森監督の下、2年ぶりの優勝。ここからリーグ5連覇を果たす
その後、チームは黄金時代を築いていく。88年までリーグ3連覇。87年の巨人との日本シリーズで
クロマティの緩慢な守備を突いた
辻発彦(現監督)の好走塁も忘れられない。88年に
平野謙、リーグ優勝を逃した89年途中に
デストラーデが加入して、90年「最強オーダー」が完成する。一番・辻、二番・平野、三番・
秋山幸二、四番・清原、五番・デストラーデ、六番・石毛、七番・
安部理(または
笘篠誠治)、八番・
伊東勤、九番・
田辺徳雄。投手陣も先発に
工藤公康(現
ソフトバンク監督)、
渡辺久信、
渡辺智男、
郭泰源、
石井丈裕ら、リリーフに
潮崎哲也、
鹿取義隆らを擁して盤石だった。90年は9月中に優勝が決まり、91年は森政権下での最高勝率.653も記録するなどリーグ5連覇を果たした。
しかし、94年オフ、チームは大きな転換点を迎えた。森監督の退任。そして工藤、石毛のダイエー(現ソフトバンク)入りだ。秋山は前年オフ、すでにダイエーへ去っていた。95年に就任した
東尾修監督の下、2年間優勝から遠ざかったが、投手では
西口文也、野手では
松井稼頭央と黄金時代を知らない若手が中心となり、97、98年と連覇を飾る。98年オフには“平成の怪物”
松坂大輔(現中日)をドラフト1位で獲得。1年目の99年から16勝を挙げて最多勝、新人王となるも3連覇はならなかった。
その後、2000、01年もV逸し、02年からは
伊原春樹監督に。当時のシーズン最多タイ記録55本塁打の
カブレラ、トリプルスリーの松井の活躍もあって新人監督最多の90勝と大独走でリーグ優勝。だが、日本シリーズでは巨人の前に4連敗に終わった。続く優勝は伊東勤監督1年目の04年。シーズン勝率は2位ながら、プレーオフを勝ち抜き、当時の規定でリーグ優勝。中日との日本シリーズでも4勝3敗で頂点に立った。しかし、そこから3年連続で優勝を逃すと、07年は5位。26年ぶりのBクラスとなり、76敗も西武となってからのワーストだった。
08年は渡辺久信監督となり、チーム名に“埼玉”を冠して、より地域密着を進めると48本塁打を放った
中村剛也ら新戦力の台頭もあり、リーグ優勝。日本シリーズでも巨人を下して日本一となった。就任1年目の優勝は廣岡、森、伊原、伊東に続き5人目だった。
だが、ここから長く優勝から遠ざかった。14年から16年は屈辱の3年連続Bクラス。チーム再建を託されたのが黄金時代の名二塁手・辻監督だった。就任1年目の17年はチームを2位に導いて昨季、10年ぶりのリーグ優勝。そして見事に今季、リーグ連覇を果たした。
写真=BBM