いよいよ球春到来! 2018年シーズンへ向けた春季キャンプの開幕が近づいてきた。沖縄キャンプの見どころや注目ポイント、魅力をお伝えしていこう。今回のテーマは沖縄キャンプの始まり。本当のスタートと変遷をひも解く。 2018沖縄キャンプガイドvol.1

1981年の沖縄・名護キャンプで砂浜を散策する江夏(左)
いまではプロ野球9球団が訪れ、日本一の“キャンプ王国”としてすっかりお馴染みになった南国・沖縄だが、第二次世界大戦終了後も1972年までアメリカの統治下にあり、日本のプロ野球とのかかわりは、そう古いものではない。
ただし、多くの資料で書かれている70年代後半の
日本ハムが沖縄キャンプのスタートという話は違う。一番最初は、
松木謙治郎監督時代の大映スターズで、57年2月に行っている。沖縄に映画会社である親会社大映直営の映画館ができたことを記念してだったと言われる。
ただ、当時は日本復帰前。勝手が違い、ずいぶん苦労したようだ。キャン地として予定していた米軍のグラウンドが草ぼうぼうでとても練習などできず、急きょ那覇高のグラウンドを借りるも、雨にたたられ、散々だったという。大映の沖縄キャンプは結局、この1年だけで立ち消えとなった。
なお、この後、大映は高橋ユニオンズを吸収合併、大映ユニオンズとなり、さらに毎日と合併し、大毎オリオンズに。この系譜は現在、石垣島でキャンプを行う
千葉ロッテマリーンズに続いていく。
その後、しばらく空いて、70年代後半、日本ハムの投手組だけが沖縄・名護でキャンプを行ったのがリスタート。名護球場が軟式から硬式用に改装されたことを記念し、招待されたものだった。温暖な気候が選手に調整に最適と評価され、81年からは野手も合流。写真は、同年の目玉・
江夏豊投手(左)が球場外野裏の砂浜を散策している写真だ。
この美しい海はいまも変わらず、その後も日本ハムの多くの新人選手や注目選手たちがカメラマンに引っ張られ、笑顔で写真に納まってきた。
広島から移籍してきたばかりで、“優勝請負人”とも言われた江夏は「ワシはメカが苦手やから」と時計の目覚ましをつけず、練習も、ほぼ自由にやっていたという。それは決してわがままからだけではない。江夏はこの年、期待どおり守護神としてフル回転し、日本ハムを優勝に導き、MVPにも輝いている。
プロ中のプロには管理は不要、すべては残した結果で判断してくれということだろう。男の美学を貫いた古き良き時代のサムライの一人だった。
沖縄プロ野球キャンプ2018 https://www.okinawabaseball.com/ 写真=BBM