週刊ベースボールONLINE

中村和久[元巨人チーフスカウト]が斬る!

「プロ志望届」の“意義”と“功罪” 球界を揺るがしたドラフト「大谷問題」

 

「プロ志望届」とは何なのか?それをあらためて考えさせられる出来事だったのではないか。昨年、球界を揺るがした「大谷問題」。高校からのメジャー挑戦を表明しながらも、最終的には翻意してNPBからのスタートを選択。その一連の過程の中でさまざま問題点が浮き彫りになった。元巨人チーフスカウトの中村和久氏にプロ志望届の意義と功罪、そしてドラフト制度のあり方について語ってもらった。

▲日本中に衝撃を与えた大谷翔平の高校からの「メジャー挑戦」。ドラフト4日前に開かれたこの会見によってさまざまな問題点が噴出することになる


 今年の春季キャンプの話題の中心は、北海道日本ハムのドラフト1位・大谷翔平であったことは周知の事実だ。将来性ある実力に加え、二刀流への挑戦。マスコミ報道等を通じ、ファンにプロ野球の魅力を伝えた貢献度は計り知れない。だが、入団の経緯については、すでに置き去りにされている印象がある。“大谷問題”とリンクする「プロ志望届」の今後について提言したいと思う。

 2004年、高校生にプロ志望届が導入される前に「退部届」が存在した。もともとは、プロ関係者が本人と接触できない「プロアマ規定」が源にある。夏の甲子園大会閉幕後、同書類を提出すれば、野球部長または監督が立ち会いの下で面談が可能だった。つまり、プロ側としては提出者を「プロ志望」と判断していた。ところが、退部届を出していなくても、ドラフト会議で指名されるケースがあった。こうした“抜け道”を阻止するため、1995年に「進路調査希望確認」ができた。この流れを説明すると、ある球団がコミッショナーへ、A選手の調査を依頼。コミッショナーが学校宛に書類を送付し、プロ志望か否か、または進学、就職(社会人野球)かの意思表示を記入する。学校長と本人の捺印を経た書類がコミッショナーを経て、球団へ返答されるシステムだ。退部届はプロ志望届のように提出が義務ではなかったから、卒業後の進路を明確に表明していない選手については“裏を取る”ことができたのである。書類を残すという意味では、効果的であった。ところが、事前準備の段階から手間暇がかかるため、数年後には消滅。時間が経過し、プロ志望届の導入へと至ったのである。

 説明するまでもなく、プロ志望届がドラフト会議当日の対象選手となる。しかし、同書類は提出側の“一方通行”であり、指名後の拒否権もある。ドラフト当日、プロ側としては獲得ではなく、入団への交渉権を得たに過ぎない。そこで、「大谷問題」が浮上してくるのだ。

 大谷は18U世界選手権(韓国)から帰国後の9月18日に、プロ志望届を提出した。この時点で日本プロ野球でプレーするのか、それともメジャーに挑戦するかは明言していない。そしてドラフト4日前の10月21日、大谷は改めて記者会見を開き「メジャー挑戦」を自ら表明。その間、家族をはじめ、学校関係者らと熟考を重ねたと聞く。高校生のドラフト1位候補が直接、メジャーへ挑戦するケースはない。それだけ大谷の決断は非常に重く「記者会見」の持つ意味は、大きかったのだ。

 大谷の発言を受け、NPB球団の反応は分かれた。すなわち、指名を回避するのか、それとも強行指名するのか。日本ハム以外の球団は大谷の意志を尊重。一方、日本ハムはプロ志望届を提出した以上、NPBドラフトの指名対象選手であると、交渉権を得る選択へと踏み切ったのだ。結果、大谷の気持ちは次第にNPBへと傾き、日本ハム入団へと至った。

 大谷の固い決断と、その意思を尊重し、指名を回避した球団からすれば「メジャー断念」は、複雑な心境だったことが想像できる。大谷が発した「記者会見」の言葉は、プロ志望届を提出する書類と同じ扱いでなければならないということだ。つまり大谷の「メジャー挑戦」は、「NPBドラフト辞退」と判断しなければならなかった。だが、オフィシャルであったはずの決断が覆された。

透明性のあるドラフト制度の確立へ


 現状、メジャーを志望する高校生も、プロ志望届を提出しなければならない。メジャーはNPBドラフトで指名漏れした選手を獲得するという“紳士協定”がある。08年の新日本石油ENEOS・田澤純一はNPBドラフトを辞退して、メジャー挑戦を表明。社会人なのでプロ志望届は存在しないが、この事態を重く見た日本球界は、NPBへの復帰を制限する『田澤ルール』(高校生は3年、大学・社会人は2年)を設けた。だが、高校生の大谷は田澤のようにNPBドラフトを辞退する手立てがなかったため、強行指名という現実になった。ここからは、私見である。

 今後もドラフト上位指名候補の高校生が、メジャーを志望する「第二の大谷」も出てくるはずだ。だからこそ、プロ志望届は見直しの時期に来ているのでないかと思う。同書類提出後も「メジャー挑戦」と記者会見を開いた時点で、NPBドラフトを辞退、プロ志望届の提出を撤回する書類があってもいいのではないだろうか。もしくは、かつての「進路調査希望確認」のように、日本高野連が主導となって、プロ志望届の記載内容を具体化していく。現状は本人と学校長がサインする程度だが、「メジャー希望欄」にチェックするような新たな項目を設ける。ドラフト会議前に各球団が当該選手の意思を把握できるようにすれば、強行指名、指名回避という概念もなくなる。

 有力選手の日本球界からの流出を阻止する目的があるならば、制度で縛るのではなく、各球団が企業努力する必要があると思う。日本ハムが大谷へ提示したプレゼンのように、年度初めから学校の進路指導の先生や、野球部関係者へ日本プロ野球の魅力を伝える。過去に逆指名が存在した時代、現場の最前線にいた私は球団構想、選手構成(ポジション、年齢別)、現役引退後の処遇等の資料を可能な範囲で作成したものだ。

 社会人ではドラフト会議約1カ月前に、日本野球連盟(JABA)からコミッショナーを通じて「プロ入り拒否選手」の名簿が、一覧表となって12球団に公となる。「曖昧な線引き」「抜け道」「出来レース」と見られるようなトラブルを避ける意味でも、透明性のあるドラフト制度が望ましいのではないだろうか。

PROFILE
なかむら・かずひさ●1947年10月6日生まれ。三重県出身。
高田高から名古屋商科大へ進み、70年にリッカーへ入社して都市対抗2度出場。
74年限りで引退後はマネジャー、コーチ、部長代理を経て82年に監督就任。
阪神・中西らを育て、84年にチームが活動停止。
85年に巨人スカウトへ転じ、87年から9年間は近畿・中国地区を担当、06年から4年間は球団代表直属チーフスカウトに。
岡島、元木、橋本清、高橋尚、阿部、野間口、亀井、山口、金刃、長野らの入団に尽力した。
09年12月限りで巨人を退団し、ベースボールアナリストとして取材活動中。
特集記事

特集記事

著名選手から知る人ぞ知る選手まで多様なラインナップでお届けするインビューや対談、掘り下げ記事。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング