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清原和博(PL学園)以来となる1試合3ホーマーを放った平田良介(大阪桐蔭)に、当時の貴重な話を聞いたが、ここでは昨夏まで94回に及ぶ“夏の甲子園”で作られた、主な本塁打記録について振り返ってみたい。

あらためて清原の偉大さを思い知らされるとともに、智弁和歌山の豪打ぶりに驚愕。果たして今夏、これらの記録を破るスケールの大きな選手、チームは出てくるのだろうか。
※その他の投打の記録は別ページに掲載

▲05年夏、あこがれの清原和博に並んだ平田良介



【大会記録】

個人最多本塁打 5本
清原和博(PL学園) 第67回/1985年[5試合]



 開幕前までに高校通算57本塁打を記録していた清原和博の、この大会の目標は『3本打つこと(通算60本塁打)』。3回戦まではノーアーチだったが、準々決勝・高知戦でソロを架けると、続く準決勝・甲西戦では2ラン2本で目標の60号を達成。『気が楽になった』と臨んだ決勝・宇部商戦は、4回裏に左翼ラッキーゾーンへ運び(※これで3試合連続アーチ。連続記録)、6回裏にはバックスクリーン左へ突き刺す豪快な一撃。ABC朝日放送・植草貞夫アナの『甲子園は清原のためにあるのか〜』の名実況はこのときのもので、PL学園はこの試合に勝利し、大会を制した。なお、清原の甲子園春夏通算13本塁打(夏9本)29打点も、今なお破られぬ大記録である。

チーム最多本塁打 11本
智弁和歌山(山野純平3、後藤仁3、武内晋一2、堤野健太郎2、池辺啓二) 第82回/2000年[6試合]



 100安打、157塁打、当時の最高打率.413と、猛打を連想させる記録をほぼ上書きして頂点に立った『史上最強打線』。なかでも燦然と輝くのがこの11本塁打だ。2回戦と準決勝はノーアーチだから、実質4試合で達成したことになるが、圧巻だったのが...

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