文字どおりエースとしてチームをけん引した世代No.1左腕を、チームメートやスタッフたちはどう見たのだろうか。3人の証言から、素顔の
松井裕樹をあぶり出してみたい。
▲登板のない試合ではバット引きをするなど裏方に徹した松井
若月健矢 [捕手/花咲徳栄] 数字以上の体感速度に衝撃 センバツ出場した今春、四番・若月健矢は県岐阜商との1回戦で同8強左腕・
藤田凌司から左越え本塁打を放っている。しかし、全国舞台での一発よりも「人生で一番うれしい安打」と語るのが松井と対戦した関東大会2回戦だという。2安打のうちで2打席目には伝家の宝刀・スライダーを左翼フェンス直撃の二塁打。あのバットの感触は、今でも残っている。
台湾ではボールを受ける機会に恵まれた。若月は「自分は主役ではない」と今大会の正捕手は主将の
森友哉(大阪桐蔭)に譲り、専らブルペンで投手の調整に付き合っていた。
松井の球質は打席とは異なる感覚で「キレっキレです」と開口一番。さらに具体的に突っ込んでみると「7投手の中で一番速い。数字では安樂ですが、松井は腕が遅れて出てくるから体感速度がすごい。いつの間にかミットに収まっているイメージ。正直、捕るのが怖いぐらい」。良い音を鳴らせようと、集中力を研ぎ澄ました捕球を心掛けていた。
仲井宗基 [コーチ/八戸学院光星] 球質が向上し、精神的強さも 昨夏、松井が「全国制覇」の夢を絶たれたのが準々決勝で対戦した光星学院(青森、現八戸学院光星)だ。11年夏から3季連続で甲子園準優勝に導いた仲井宗基監督とは今回、選手とコーチという立場で再会した。
生で見るのは昨秋の岐阜国体以来。1年間の成長を「スライダーが良いと言われますが、真っすぐの威力が増したような気がします」と球質の向上を指摘。さらに「粘り強さ」にも言及する。台湾との予選第1ラウンド。2点リードの8回裏、二死満塁でカウント3ボールから空振り三振に斬った場面だ。「昨年までなら、一気に行かれそうなところでも、しっかり抑える。精神的に強くなった」
技術的にはチェンジアップの習得を挙げる。「真っすぐかスライダーに的を絞っていれば良かったんですが、投球の幅が広がった」。昨夏に殊勲打を放った三、四番の
田村龍弘(現千葉
ロッテ)、
北條史也(現
阪神)に使われていたら「きつかったでしょうね」と仲井コーチ苦笑いを浮かべた。
吉田斉 [アシスタントコーチ/横浜商] バット引きで見せた献身 野球人・松井裕樹を説明するのに、象徴的なシーンがあった。台湾との予選第1ラウンドで勝利投手となった翌日、日本チームはダブルヘッダーが組まれていた。西谷浩一監督(大阪桐蔭)は「松井以外は全員つぎ込む」と告げた一方、エースは完全休養を与えられていた。限られた20人のメンバーである。松井はこの2試合で、バット引きを率先していた。
「指示されて動いたのではありません。自発的な行動」と明かすのは吉田斉アシスタントコーチ。横浜では
成瀬善久(現千葉ロッテ)と同級生で03年センバツでは主将として準優勝。国際武道大を経て、現在は横浜商の野球部長を務める。神奈川のライバル校のエース左腕はこう映ったという。
「エースであることは誰もが認める。でもそれを一切見せずに、チームが勝つために何ができるかを考えていた。日本代表は一流投手の集まりですから、松井も一人で背負わずに済み、良い意味で気楽だったかもしれません」