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チームを勝利に導く名将の言葉力

野村克也 知将の思考を表す名言を読み解く

 

齢78歳にして、野球に対する観察眼、野球界を斬る的確な言葉は衰えることはない。その著書は野球に携わる者のみならず、人生の訓えを乞おうと多くの人が手に取る。ここでは、野村克也がブレることなく口にしてきた言葉の中から、野球にとどまらず、人生を生きる術として私たちが心に留めておきたい名言をピックアップ。野村オリジナルから、古典やことわざ、先人の名言を拝借したものまで、その言葉を読み解き、思考を探っていきたい。

1990年から9年間監督を務めたヤクルトでは、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導き、名将の名を確たるものとした



『「失敗」と書いて、「せいちょう」と読む』


 監督時代、野村は見逃し三振をしてベンチに帰ってきた打者を怒ることはなかったという。結果よりもプロセスを重視し、「なぜ、その球種を狙ったのか」「三振に陥った過程」をその選手に確認したとか。野球は“失敗のスポーツ”だからこそ、失敗したという結果よりも、なぜ失敗したのかというプロセスを大切にし、そこから次に成功する方法を見出していく。それこそが「失敗」=「せいちょう」なのである。発明王エジソンの名言「失敗は成功の母」と同じく、どの世界にも共通する、含蓄深い言葉はもはや後世に残る名言とも言っていいだろう。

『巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如かず』


 中国の古典『韓非子』の名句で「巧みに偽りごまかすのは、拙くとも誠意があるのに及ばない」という意味だが、野村流にいえば「巧みだからといって、拙い者に勝てるわけではない」、さらに「不器用な者は、それを自覚しているから、その不器用を克服しようとして努力できる。正しい努力を続けることさえできれば、最後には不器用な者が勝つ」。確かに、才能豊かな選手たちがひしめく野球界でも、“器用”と思われる選手が苦しむケースは少なくない。さらに野村は、自分が不器用だと自覚する必要性も説いている。こちらは、ソクラテスの「無知の知」とも通じるところか。

『殴った方は忘れても、殴られた方は痛みを覚えているものだ』


 現役選手だった若かりしころ、スランプに陥ったときに、先輩である選手に投げかけられた一言。本塁打王を取ったあとに打てなくなったのは相手も必死に研究してきているから。それを打ち崩すためには、自分はさらに研究しなければならないと、そこから配球について学び始めたという。この言葉が、野村の野球観を構築するためのスタートとなった。

監督就任と同時に入団した古田敦也には自身の知識を授け、球界を代表する捕手へと育てていった



『小事が大事を生む』


「どんな大きなことをやり遂げるにしても、目の前の小さなことを確実にコツコツと積み上げることから始まる」という意味で、野村が好きな言葉の一つだという。著書では、イチローがメジャーの最多安打記録をつくったときに「頂点に立つということは小さなことの積み重ねだ」と語っていたのを聞き、自身の野球観に通じるところがあると感じたとも。

『先入観は罪、固定観念は悪』


 これまた、野村がよく口にする言葉で、著書でもさまざまな実例をもって、先入観や固定概念を取り除いて取り組むことの意義を説いている。たとえば・・・

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