――チームからはどのような役割を期待されていると思いますか。
ペーニャ チームの優勝、勝利に貢献すること。具体的には長打を打つことだね。ただ、それだけではなくて走塁や状況に応じたバッティングも求められていると思う。
――キャンプ中、特大の場外ホームランでブルペンの屋根に穴を開けていましたね。すごいパワーです!
ペーニャ あれはヘルマン選手じゃない!?……(笑)。恵まれた体格で生まれたことを神様に感謝しなきゃいけないね。もちろんしっかりトレーニングを積み重ねてきた結果でもあると思う。
ただ、あの場外ホームランにしても、普段から飛ばそうと思って打っているわけじゃないんだ。この時期はシーズンに向けての準備という意味で、バットの芯でとらえることを意識しているんだけど、今回は結果的にあそこまで飛んだということ。ホームランを打とうと意識していたら逆に飛ばないよ。
――記録はあまり意識しませんか。
ペーニャ 40本打とうが、50本打とうが、チームが勝たなければ意味がない。自分の仕事はチームの勝利に貢献することだし、勝負強い打撃を見せたい気持ちが強いので個人よりチームの勝利を大事にしたいんだ。
――その大きな体からパワーが生み出されているわけですが、それにしてもすごい腕の筋肉ですね。
ペーニャ まだぜんぜん小さいよ。スモールサイズ!
――どうしたらそんなに大きな体になれるんですか
ペーニャ これでも中学から高校にかけては細かったんだよ。トレーニングもほとんどしなかったからね。若いときは軽いウエートだけでしっかり体格をキープできたんだ。でも、年齢を重ねていくごとに、トレーニングの必要性を感じて、20台半ばからはきちんとやっているよ。
右ヒザの手術から復活 ファンに勝利を届ける ▲メジャー通算84本塁打。12年はソフトバンクで21本塁打を記録するなど、長打力に期待がかかる
――昨年は右ヒザの手術もあり、思うような結果が残せませんでした。
ペーニャ 右ヒザに違和感があってMRIを撮ったら半月板が損傷していたんだ。このままプレーを続けると前十字じん帯にも影響があるということで手術を行ったよ。予定より1カ月くらい早く復帰できたけど、その後も毎試合スタメンで出られるわけじゃなかったからつらかったね。
でも、いつでも力が出せるように常に準備はしていたよ。シーズンが不本意な形で終わり、ホークスファン、関係者の方々には申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、それはもう過去のこと。今は、新しい気持ちでシーズンの最初から最後までプレーできるように準備しているし、オフシーズンもしっかりトレーニングを積んできたのでいいプレーが見せられると思うよ。
――右ヒザの状態はいかがですか。
ペーニャ ヒザは万全。問題ないよ。ただ、ケガの予防のためにトレーニングをしっかりやったり、体のケアは怠らないようにしているよ。
――メジャーを含めこれまで何球団も渡り歩いてこられたペーニャ選手ですが、
オリックスが優勝するために必要なことは何だと思いますか。
ペーニャ パ・リーグは差が紙一重。昨年はイーグルスが優勝したけど毎年違うチームが優勝している。ただ、技術的にはどこもそんなに変わらないし、オリックスも技術力が高い選手がたくさんそろっているから、あとは僅差のゲームを取るとか、本当に少しの差だと思う。
チームが一丸となってプレーできれば必ず優勝できるよ。僕が好きでよく使う言葉は「ガンバリマス」なんだけど、勝利のためにベストを尽くしたい。みんなもそう思っていると思うよ。
――今年で来日3年目、日本プロ野球界の印象と、今季も日本に残る選択をされた理由を教えてください。
ペーニャ アメリカの野球も日本の野球も同じ野球ではあるけど、いろいろなところで違いが出てくるんだ。でも、それに対して僕はうまく対応できていると思う。だから、願わくは日本で自分の野球人生を終えたいと思っているんだ。もちろん、優勝していい結果を残してね。
――ベタンコート選手も入団が決まり、助っ人選手にかかる期待は大きいと思います。意識はしますか。
ペーニャ 自分は自分の役割があるし、ヘルマン選手にはヘルマン選手の役割があって彼もそれを知っている。ベタンコート選手にも自分の役割が必ずあると思う。パズルに例えるなら選手は一つのピースなんだよ。それをうまく合わせていって優勝を目指す。そこが一番大切なことだと思う。僕は人と人とのつながりはすごく大切なことだと思うし、チームメートを家族のように大切に思っている。もちろんファンの皆さんのことも大切で笑顔になってほしい。今年は期待していてほしいな。
PROFILE ウィリー・モー・ペーニャ●1982年1月23日生まれ。ドミニカ共和国出身。191cm118kg。右投右打。98年にドラフト外でヤンキースに入団も出場はなし。01年以降はレッズ、レッドソックス、ナショナルズ、メッツ、パドレス、ダイヤモンドバックス、マリナーズに所属。第1回WBCにはドミニカ代表で出場している。長打力が持ち味でソフトバンクでは来日初年度の12年に21本塁打をマークするも、13年は不調と右ヒザの手術の影響で出場数55試合にとどまった。