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夏の甲子園大特集

菊池雄星 「腕が壊れてもいい」 “全力の夏”の真実。

 



日本一を目指し、腕を振り、全力で駆け抜けた夏――。5年前、高校No・1投手として甲子園を熱くさせた左腕だが、目指した頂点に届くことなく、聖地を去った。人目をはばかることなく涙を流した“あの夏”を振り返り、「腕が壊れてもいい。人生最後の試合になっても投げたかった」とまで口にした当時の心境、そして今も心に強くある高校野球への思いを語ってもらった。
取材・構成=田辺由紀子 写真=荒川ユウジ、川口洋邦、BBM

思い出の夏、エースとして


──今季前半戦はなかなか思うような結果が出せず、ご自身としても納得のいく投球ができない時期もあったかと思うのですが、現在の状態としてはいかがですか。

菊池 7月22日の登板でマメがつぶれて数日はノースローでの調整となりましたが、体の状態はいいので、これからチームの勝利に貢献できればと思っています。

──7月13日のオリックス戦(西武ドーム)ではプロに入って自己最速となる154キロもマーク。「(プロに入って)5年間で一番いい球が行っていた」とコメントしていましたね。

菊池 そうですね。今の真っすぐは納得していますね。ただ、いいボールもあるんですけど、やっぱり悪いボールは悪いので、そのギャップを少なくして、再現性を高めていかないといけないと思っています。やはり勢いだけでは抑えられる世界ではないので。投げたいところに投げられるっていうのをもう少しできないといけないですね。

──高校時代は最速155キロ。

菊池 まあ、数字という部分では出ていましたけど、そのボールをプロに投げて打たれないかと言ったら、そうではないと思うし。年々少しずつスピードも戻っていますし、これからかなという感じです。

──今回は、甲子園での思い出などを中心に高校時代を振り返っていただきたいのですが。この時期になると、当時のことを思い出したりするものですか。

菊池 そうですね。やっぱりロッカールームでもみんな見ていますからね。いろいろ話もしますよ。

──菊池投手自身、1年夏、3年の春夏と3度甲子園に出場していますが、印象に残っているのは。

菊池 やっぱり3年夏ですかね。1回負けたら終わり、引退っていう中で、ピリピリした緊張感もありながら、最後だからこそ仲間と楽しむという……。どこまでできるか分からないけど、開き直って、1試合1試合かみしめようという感じが楽しかったですね。

──準決勝で中京大中京に敗れて最後の夏を終えました。号泣していた姿もすごく印象深かったです。

菊池 そうですね(笑)。最後の夏はやっぱり不十分な状態で、満足いくボールが投げられずに終わったので、申し訳ない気持ちが強かったです。

──不十分な状態というのは、やはり連投での疲労もあったのでしょうか。

菊池 肉体的な疲れはなかったですね。高校生のときって、連投が当たり前っていうのもあるし、いくらでも投げられる。疲れはなかったです。ただ調子が悪かったっていうだけで。

──ただ、1回戦後に左肩甲骨下部に痛みもあって、その痛みをおしてマウンドに上がっていた。

菊池 やっぱり最後っていうのもありますし、プロに入るとしても、半年以上は時間があるから、どこか痛めても治るだろうと。まあ、今考えれば、甘い考えだったというか。

──当時の記事を振り返っても、「腕が壊れても最後までマウンドにいたかった。人生最後の試合になってもいいと思いました」と言っているんですよね。

菊池 やっぱり日本一になることを目標に、高校に入ったので。日本一になりたいという思いは強かったです。

──春の決勝は清峰に0対1で敗れ日本一を逃して、その悔しさは大きかったのではないでしょうか。

菊池 すぐには「じゃあ、夏」っていうふうに切り替えられはしなかったですね。まず、甲子園に出るのも難しい話だし、夏はさらにレベルが上がるっていうのを考えたら、簡単に夏も……っていうふうには思えなかった。正直、「ここで日本一をつかめなかったのは痛い」という思いの方が大きかったかな。

▲春決勝で1失点に泣き、「すぐに夏というようには切り替えられなかった」と言うものの、その夏、甲子園に戻ってきた菊池。万全な調子とは言えなかったが、エースとしてマウンドへ上がり続けた



──ご自身のピッチングとしては?

菊池 春は高校3年間の中でもベストな状態でしたし、よく1点で抑えられたなというのはありましたね。ただ、相手が今村くん(猛、広島)というのもあって、お互い注目もされていたので……。粘り負けという形になってしまったことは悔しかったですね。

──最後の夏は「申し訳ない気持ちが強かった」ということですけど、そういったエースの自覚が芽生え始めたのはいつごろですか。

菊池 1年の入学した当初から、花巻東の佐々木(洋)監督には「3年間エースとして期待しているし、エースという言葉に伴う結果と、生活面や態度などを大事にしていけ」という話をされていたので、けっこう早い段階で意識はしていました。ピッチャーの表情や私生活の態度とかでチームの士気が変わるという話は、常にされてきましたから。

──1年夏には2番手として甲子園のマウンドを経験しましたが、そのころから?

菊池 いや、そのときは一瞬一瞬、精いっぱい投げる、勝つっていうことだけを考えてやっていました。ただ、100人以上部員がいる中で、あのマウンドに立てるのは1人だけ。やっぱりそういう責任は、感じていましたね。
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