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現代野球ではクローザーと双璧の重責を担うポジションとして認知されてきたセットアッパー。3年ぶりの優勝が目前のソフトバンクでは8回には五十嵐亮太がいた。ホールドポイント44と最優秀中継ぎのタイトル争いでもトップに立つ35歳の右腕が、しっかりと勝利の橋渡し役を務めたからこそ、チームが有終の美を飾ろうとしているのだ(記録は9月21日現在)。
文=田尻耕太郎(スポーツライター) 写真=高原由佳

 今年、秋山幸二監督が最も安心して戦況を見つめていられたのは8回のマウンドだった。

「ピッチャー、五十嵐」

 球審にそれだけ告げれば、あとはベンチに腰を下ろしていればいい。

 8回をセットアッパー五十嵐亮太が抑えて、9回はデニス・サファテが試合を締めくくる。今季のソフトバンクは投打とも主力クラスに離脱者が相次いだが、巨大戦力をやり繰りしてどうにか勝ち抜いてきた。そのチーム状況にあって、8回以降の「勝利の方程式」だけはシーズンを通して不動。なかでも今季の五十嵐の獅子奮迅の活躍ぶりと至極の安定感は、今シーズンのMVP級といっても決して過言ではない。

 4月12日から7月26日まで3カ月間以上にわたり33試合連続自責点0を記録し、月間MVPに輝いた7月にマークした月間12ホールドはNPB新記録を樹立した。さらに今年は自身9年ぶりとなるオールスター出場。今季残り6試合の9月21日時点で、43ホールドは歴代シーズン記録の7位タイ(トップは中日・浅尾が2010年に記録した47)。今シーズンではもちろん堂々のパ・リーグの1位である。

さらに右腕を進化させた1試合


「以前と変わらない真っすぐを見てほしい」

 オールスター出場時に、そう胸を張って話していた。

 ヤクルトでプレーしていた04年に当時日本球界最速の158キロを記録。10年経った今季も最速155キロを計測している。また、その年には37セーブを挙げて最優秀救援投手のタイトルを獲得した。さらに「球界のキムタク」ともてはやされたイケメンもあって、全国区のスター選手として人気を博した。09年オフに海外FA権を行使してメジャーへ。メッツなどで3年間プレーし、昨季日本球界復帰してソフトバンク入りしたのだった。

 昨季は51試合に登板し抑えで12セーブ、中継ぎで11ホールドを記録したが、日米のボールやマウンドの違いへの対応に苦慮した面もあり、十分なパフォーマンスを発揮できたとは言い難かった。特にヤクルト時代に武器としたフォークが落ちなかった。そのため、アメリカでマスターしたナックルカーブと自慢の直球の2種類だけで勝負せざるを得なかった。

 現在もその2つが主体だが、今シーズンはカットボールなど、ボールを動かすスピード系の球種も操れるようになった。日本球界の感覚を取り戻し、それにアメリカで学んだ投球術をミックスさせたことが飛躍につながったといえるだろう。

 先述したとおり、今季は序盤から絶好調だった。だが、連続自責点0を継続中だった7月5日、この日のたった1試合が、五十嵐をさらに進化させることになった。

 ヤフオクドームでの楽天戦だった。3点リードの8回から登板。だが、本調子ではなかったのか、先頭から連続安打を浴び、さらにフォアボールを与えて、あっという間にノーアウト満塁のピンチを作ってしまった。

 一発逆転のこの場面で迎える打者はボウカー。それでもまだ焦りはない。ナックルカーブを3球続けて、1ボール2ストライクと簡単に追い込んだ。決め球には自慢の真っすぐを選択。しかし、150キロ超えを3球続けてファウルで逃げられた。ならば、ナックルカーブだ。だが、目先を変えてもまたカットされてしまったのだ。

 粘られて8球目。五十嵐は追い込まれていた。

「余裕はもうありませんでしたね。ただ、そのとき、ふと思いついたんです。球種じゃダメならフォームだと。試してみるというより、もう自分にはこれしかないという気持ちで投げました」

 もともとクイック気味に投げていたフォームを、さらに速く、投げた。球速148キロのストレートだったが、ボウカーは振り遅れた。

 空振り三振で1アウト。続く岡島豪郎には初球から速いクイックモーションで勝負を挑み、149キロを2球続けて早くも追い込んだ。3球目、今度は逆に足を大きく上げてナックルカーブを投げた。戸惑った岡島は全く反応できず見逃し三振。これで2アウトとなり、次打者は初球でセンターフライに打ち取り、見事に絶体絶命の場面を乗り切ったのだ。

「投球ごとにフォームを変える投げ方はアメリカでもやっていました。だから、あの状況でも頭に浮かんできたのかもしれません」

 以来、五十嵐は1球ごとに足を大きく上げたり、クイックモーションにしたり、さらに速いクイックで投げるようになった。ただ、これにはリスクも伴う。投球フォームを変えることで、自分のバランスも崩しかねない。「それでも……」

 五十嵐は言葉を継ぐ。

「失敗はしたくないです。だけど、ある程度のリスクがあったとしてもリターンがあるならばトライをするべきだと僕は考えています。失敗したならば、次に取り返せばいいんです」

▲7月5日の楽天戦[ヤフオクドーム]、無死満塁のピンチを切り抜けて笑顔を浮かべる[写真=湯浅芳昭]



怠ることがない自分磨き


 また、相手を幻惑する方法はこれだけではない。

 ブルペンからマウンドに向かうと、まず5球の投球練習が許される。その最後の1球、五十嵐は必ず山なりのふわっとしたボールを捕手に投げるのだ。キャッチボールのようなフォームで、ただ投げるだけである。

 はじめは、長いシーズンを戦い抜く上での疲労などを考慮して行っているのではないかと予測したが、本人に真意を尋ねるとまるで違った。

「僕が投球練習をするとき、最初の対戦する打者はベンチから出てネクストバッターズサークル付近で、バットを振りながら僕の方を見ているわけじゃないですか。そこでタイミングを合わせてくる。それがイヤなんです。だから最後の1球は、タイミングを取らせないようにするために、わざとあのような投げ方をしているのです」

 さらに、もう一つ意味があるという。

「僕みたいなタイプは力を入れて投げることはいつでもできます。だから逆に力の抜き方が課題なんです。投球動作の中でムダな力を抜き、リリースポイントの瞬間だけに力を込められるか、常に意識しています。力を抜いて投げるということは、その意識づけにもなるんです」

 変化することを恐れず、常に良いものを求め続けている。たとえ好調でも、そしていくら実績を積み上げても胡坐をかくことなく、自分磨きを怠らない。

 プロになって17年。「球界のキムタク」も今年5月には35歳になった。

 今年は節目の記録にいくつも到達している。8月3日の日本ハム戦(札幌ドーム)の、やはり8回に登板し、NPB通算600試合登板を達成したのだ。さらに7日の西武戦(県営大宮)で「601」試合目のマウンドに上がった。すべてリリーフでの登板だ。デビューから601試合連続救援登板は、かつてロッテなどで活躍した藤田宗一を抜くプロ野球新記録となった。

 28日の日本ハム戦(ヤフオクドーム)では3点リードの8回に登板し3者連続三振を奪う快投。史上16人目となる通算100ホールドを成し遂げた。

 だが、五十嵐は「記録には興味がない」と言い切る。

「数字を見て自分で自分を評価するのって、なんかキモチ悪い(笑)。そうやって振り返っている自分も、好きじゃない。とりあえず1年間通してケガをしないこと。そして1試合1試合にベストを尽くすこと。それしか考えていません」

 球界きってのイケメンは、生き様もまたイケているのである。

▲8月7日の西武戦[県営大宮]でプロ野球新記録のデビューから601試合連続救援登板を樹立[写真=桜井ひとし]



PROFILE
いがらし・りょうた●1979年5月28日生まれ。千葉県出身。178cm 94kg。右投右打。敬愛学園高から98年ドラフト2位でヤクルト入団。ストレートとフォークを武器にリリーバーとして活躍。2010年にメジャー挑戦。メッツ(10〜11年)、ブルージェイズ(12年)、ヤンキース(12年途)を経て、13年にソフトバンクへ移籍。14年の成績は60試合に登板し、1勝2敗2S43H、防御率1.26(9月21日現在)。
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