日本ハム一筋で21年と現役では在籍期間が最も長く、東京時代を知る5選手のうちの1人。“マック”こと金子誠が引退を表明した。歴代の選手たちと比べても在籍年数は現在二軍守備コーチを務める田中幸雄の22年に次ぐ長さだ。チームの歴史を作り上げてきた男が9月27日の引退会見で残した言葉とその21年のキャリアを振り返る。 文=高橋和詩(スポーツライター)
写真=早浪章弘、BBM プロ3年目に大きな壁
辞めることも考えた
一途に生きた道を完全燃焼した。金子誠は晴れ晴れとしていた。表情も、声も、どこまでも澄んでいた。9月27日。慣れ親しんだ札幌ドーム内に設けられた記者会見場。使い込んだバスタオルを手元に置き、覚悟を打ち明けた。
「金子誠は今シーズン限りでプロ野球選手としての生活を終えようと決心いたしました」
日本ハムで生きた21年間の輝かしい軌跡。添い遂げたユニフォームを身にまとい、静かに笑みをたたえていた。プレーでも、言動でも派手さを嫌う。球団側の申し入れを1度は拒否した。二軍で静かに身を引くことを希望していたからだ。精いっぱい、背伸びをして出席したセレモニーで等身大の別れの言葉を並べた。
「本当は、シーズンが終わってから言おうと思っていたのですが、やっぱり第2の野球人生を生んでくれた北海道には、しっかりケジメを付けないといけないと思い、こういう時間を設けさせてもらいました。本当に21年間、ありがとうございました」
名バイプレーヤーとしての誇りを胸に、去ることを決めた。派手な金字塔も、勲章もなくても、数少ない生え抜きとして屋台骨を支え続けてきた。東京、北海道と激動の変遷を経た球団で二遊間、内野の要を務めた。渋く光り輝いていた原石は本物だった。
「高校のときから常に3番目、4番目の存在だったんです。ずっと縁の下みたいな仕事をやってきましたからね」
▲試合前の守備練習でリラックスした表情の稲葉篤紀と金子誠
ドラフト3位で名門・常総学院高から94年、謙虚に野望を抱いて日本ハムに入団した。「将来は必ず・・・
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